本日は南京事件の研究家である東中野修道教授にインタビューするため、武蔵野市の亜細亜大学を訪ねました。先週の土曜日は靖国問題について大原康男教授に話を聞くため、渋谷の国学院大学に行ったので、なんだかキャンパスづいています。
国学院大に行った際には、道を尋ねた若いカップルが親切にも「青山学院大」へと案内してくれたので、約束の時間に遅れるという失態をしでかしました。でも、きょうは最寄り駅から亜細亜大まで、学生さんがぞろぞろと歩いていたので迷うことなく時間前に着きました。
東中野氏というと、「『南京虐殺』の徹底検証」(平成10年刊)、「南京事件 『証拠写真』を検証する」(17年刊)、そしてこの5月に出したばかりの「南京事件 国民党極秘文書から読み解く」などで有名ですね。でも、私は現在のように東中野氏が著名になる前の今から11年前に偶然、知遇を得ていました。
終戦50年にあたったその年、私は戦没者遺族を取材するため、全国に出張して回っていました。そんなある日、鹿児島空港から鹿児島市内に向かうバスに乗っていた私は、車中で自分が書いた記事のコピーを熱心に読んでいる男性を見つけました。
「鹿児島では産経新聞は発行していないのに、珍しいなあ」
記事は、「東京裁判却下未提出弁護側資料」という本が出版されることを紹介したものでした。うれしくなった私は、普段はそんなことしないのに、つい「その記事は私が書いたものです」と声をかけてしまいました。
引っ込み思案で人見知りの私は、日ごろは、電車の中などで私の記事を(稀に)読んでいる人を見かけても、話しかけたりはしません。今考えても、あのときどうして声をかけたのか不思議です。
その後、私と東中野氏はバスを降りて近くの喫茶店でしばし、歓談したのでした。このときも、東中野氏は確か南京事件の証言者と会いに鹿児島に来たと話していたことを覚えています。東中野氏の方も、突然うろんな男に話しかけられて驚いたそうです。
そんなこんなで、今日もこうして取材する機会があるなんて、やはり他生の縁かなあ、と思います。東中野氏は、前述の最新刊の参考文献の欄に、私と同僚が昨年12月に書いた記事「続・歴史の自縛㊤ 『真相はこうだ』の闇」を載せてくれました。
こういう仕事を長く続けていると、そんなこともあるというだけのお話です。
ちなみに、数年前には別に紹介する人があって、東中野氏のお嬢さんと一度二人で食事をする機会もありました。ただ、この出会いは全く何の進展もありませんでした。こちらの方は、特別縁はなかったようです。


by akizuki
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