歴史は自分を評価すると信じている例のアレは今、どのような心理状態にあるのでしょう。おそらく、支持率が低迷・下落し、与野党双方から批判され、一分一秒でも早く辞任すべきだと迫られている現状について、次のように考えているのではないでしょうか。
「こんなはずはない。普通なら、このオレの理想と政治手腕はもっと高くみんなに評価、称賛されるはずだ。それなのに、官僚どもはサボタージュを決め込んで動こうとしないし、自民党だけでなく公明党、民主党執行部までオレのことを悪く言う。これはきっと、電力複合体とでもいうべき裏の組織があって、脱原発を進めようとするオレをつぶしにかかっているんだ。負けてたまるか!」
実際、アレは5月の中部電力浜岡原発の停止要請を行って以降、さまざまな圧力が強まったと周囲に語っていますが、どうなんでしょうね。実際はそれ以前からいろいろな批判というか、忠言・諫言・助言も含めてさまざまな声は寄せられていたはずですが、「あーあー聞こえない」と自分で耳を塞いでいただけだろうと思います。
アレは、なまじこれまで、この姑息で卑怯でその場しのぎで場当たりで人の裏をかくようなやり方で今の地位まで上りつめてしまったので、それは明確に「成功体験」としてアレの中で位置付けられていることでしょう。なので、そのやり方について反省することなんか思いつきもせず、ただただ「何かがおかしい」と被害妄想と自己憐憫の深い海の底に沈んで、真実から目をそむけているというわけです。
こうなると、この実際には存在しない敵に向かってこぶしを振り上げて「決然と生きる」だとかわけのわからないことをつぶやくアレの間違った思い込みは、アレの自我を守るための砦となっていますから、もう覆すことはできないでしょうね。アレはすっかり攻撃モードに入ってむしろ元気なくらいですし。もう、速やかにアレ自身に退場してもらうしか処置無しであります。
で、以上のようなことをつらつら考えながら、自宅の模様替えのために本棚の本をひっくり返していたら、ずっと以前に古書店で購入したドイツ文学者の竹山道雄氏の「剣と十字架」(文藝春秋新社、昭和38年刊)が出てきました。それをパラパラめくっていて、アレの心境・心情を説明する上で、少し参考になりそうな描写(もちろん実際はアレとは何の関係もありませんが)があったので紹介します。
それは竹山氏が1960年にドイツに長期滞在していたころ、ベルリンで若いドイツ人青年と交わした60年安保騒動に関する以下のような会話です。原文ではカギ括弧が誰の発言がわかりにくいので、補って引用します。
青年「…しかし、いま日本は平和で、むしろ非常な繁栄ではありませんか。それがどうしてそうラジカルになるのです?」
竹山氏「長い戦争で精神のバランスを失った結果です。やはりドイツのワイマール時代に似たところがあるのでしょう。それに遠い島国で世界の実情がよく分からないということもあり、ただ一方的な見方だけを吹きこまれたということもあり、何より多くの人々が前の戦争中に抵抗しなかったという道徳的負い目を感じていて、こんどこそ抵抗しようというのです」
青年「そういう遅ればせの抵抗家はドイツにもいますよ。ヒットラーに対してしなかった抵抗を、アデナウアーにむかってして、自分の良心をなぐさめようというのです。しかし、相手は別のものなので、弾圧をしない者にむかってのレジスタンスということは行為として成立しないはずですがね」
竹山氏「空想された仮想敵へのレジスタンスは、もっとも人々を鼓舞するのでしょう」
…まあ、世代も異なるアレのことを、上の例に結びつけるのは無理がありますが、たまたま手に取った本の記述が興味深かったもので。でも、人間心理のあり方としては、当たらずとも遠からず、という気もします。
自分のことを「粗にして野だか卑ではない松本龍」と述べて前震災復興担当相が就任9日で辞めた件と、国民がどの程度、アレへのストレスに耐えられるか全国検査したいと考えるアレの唐突で不整合な言動により、内閣支持率はこれからさらに低下するでしょう。
そのとき、民主党の心ある議員(どの程度いるのか不安ですが)は果たして決起するのか、それとも、アレが再び天才的(天災的)な責任転嫁で押し切り、乗り切るのか。いずれにしろ、アレの妄想の深海1万メートルに日本全体が沈められるような事態にならないことを祈っています。


by kaz-forest
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