今朝の朝刊は、中国の江沢民前国家主席が1998年8月、外国に駐在する大使や外交当局者らを集めて「(日本に対しては)歴史問題を始終強調し、永遠に話していかなくてはならない」と指示していたことが明らかになったと報じています。やはり、というべきでしょう。
日本人の中で中国の正体を直視しようとしない人は、首相が靖国神社参拝をやめれば日中関係は改善されると思い込んでいるようですが、この江発言で、それが間違いであることがはっきりしましたね。靖国問題が片付いても、中国はほかの歴史問題を持ち出すことが、中国側が出版した本(江沢民文選)で明確になるというのも皮肉なものです。
むしろ私は、首相の靖国参拝は、中国の要求が他の歴史問題へと広がらないための防波堤になっているのではないかと考えていましたが、それが裏づけられたなぁと思っています。
さて、江が98年11月に来日した際、当時の小渕恵三首相は、中国側が要求する共同文書への歴史謝罪盛り込みを拒否して男をあげました。来日直前にあんな指示を出していたわけですから、小渕氏の功績は評価されるべきですね。ある外務省幹部から、こんな話を聞いたことがあります。
「小渕さんは中国を相当、疑っていた。江来日のとき、アジア局長と中国課長が夜中に首相公邸まで行って小渕さんと相談したが、小渕さんは『(謝罪は)これで本当に最後か?』と強く確認を求めた。局長たちも『これで最後です』とは答えられず、謝罪の文書化はノーとなった。ぼーっとしたふりをしていたが、すごい政治家だった」
私も小渕さんが首相になった当初は、少々軽く見ていたところがあるのですが、実はなかなかしたたかな政治家でした。当時の首相官邸はどこでも記者がうろうろできたので、小渕さんがポケットに手をいれながら、官房副長官を怒鳴りつけて叱っているのを偶然、目撃したこともあります。
小渕さんが急逝し、棺を乗せた車が国会や官邸の近くを通ったときには、にわかに雲が湧き、すさまじい雷鳴がとどろきました。大げさなようですが、小渕さんの怒りか慟哭ではないかと感じたぐらいでした。
その後、衆院議員宿舎で見た野中広務官房長官は本当に震えて真っ青になり、何かにおびえたような表情をしていました。小渕さんの死に、何か責任のようなものを感じていたのでしょうか。少なくとも、野中氏もあの雷は小渕さんの死と関係があると感じていたと思います。オカルトっぽい話になりましたが。
もう七回忌も終わり、すっかり昔の話になってしまいましたが、昨日のことのように目に浮かぶ、印象的なシーンでした。


by akizuki
写真・駐日中国大使から議員に…