「昭和の参謀」「昭和の生き証人」などと呼ばれ、山崎豊子氏のベストセラー小説「不毛地帯」の主人公のモデルでもあった瀬島龍三氏が4日、老衰のため亡くなりました。95歳でしたから、大往生と言えるでしょうが、やはり今年6月に妻、清子さんに先立たれたのがこたえたのでしょう。最近はあまり元気がなく、あまり人に会いたがらなかったと聞いていました。
それにしても、瀬島氏は、何という運命を背負って生まれてきたのでしょうか。今朝の産経抄は「その人生行路は、波瀾万丈との表現が陳腐に感じられる」と書いていますが、私も同感です。元大本営参謀、元関東軍参謀という経歴から、誤解も含め毀誉褒貶も激しい人でしたが、私は一人の人間に、一度の人生に、これほどの多様で重たい運命を与えた「天」の不思議さを感じます。
私は平成6年ごろ、当時かかわっていたシベリア抑留問題の取材で瀬島氏の会う機会があり、その縁から、瀬島氏の回想録「幾山河」の編集の手伝いをすることになり、瀬島氏からさまざまな話を聞くことができました。初対面のときに、瀬島氏はすでに80歳を超えていたのですが、とてもかくしゃくとしていて、肌のつやもよく、実年齢より10歳近く若く見えたのを覚えています。ここ数年は、数ヶ月に一度、瀬島氏の事務所に近況報告と雑談をしに行ったり、何かの折に記事のコメントをもらいに行く程度でしたが…。
瀬島氏のエピソードについては、今朝の産経に書いた「秀才中の秀才 数奇な運命」という署名記事の中で、多少は触れましたが、例によって狭い紙面ではとても書ききれなかったので、この場を借りて思いつくまま、順不同に少し紹介したいと思います。なるべく重複は避けてお伝えします。
瀬島氏は伊藤忠商事の元会長であり、第一義的には財界人なのですが、中曽根康弘氏をはじめ、歴代首相のブレーン・相談役的存在でしたし、臨時行政調査会や臨時教育審議会の委員を務め、国鉄分割民営化などで大きな役割を果たしました。当然、政治や行政とのかかわりも深く、政府の外交強化懇談会の座長として、外務省に総合外交政策局をつくったり、大蔵省の行政の在り方に関する懇談会や、衆議院改革に関する調査会の座長を務めたり、本当に戦後日本の中枢部で「参謀」として働いた人だと思います。
私のような若造のヒラ記者が「久しぶりに雑談でも」とアポをとっても気軽に会ってくれ、いつも一人がけのソファで足を組み、たばこを吸いながら、ニコニコとしていろいろな意見を聴かせてくれる人でした。ですが、やはり重みと影響力はさすがで、一度、瀬島氏の紹介で厚生省に取材に行った際は、局長さんが自ら出てきて対応するので驚いたことを覚えています。あるとき、アポ通りの時間に事務所に行ったのに、先客がなかなか帰らず、20分間も待たされたので、一体だれだろうとイライラしながら外で立っていると、出てきたのは弊紙の社長とフジテレビの社長で、気まずい思いをしたこともありました。
平成10年に、社会部から政治部に移ったと挨拶に行くと、「どうかね、政治部の方が面白いだろう」と聞かれ、当時は必ずしもそう思っていなかったので、答えに窮したものでした。3年ぐらい前だったか、突然電話をもらい、「イラクで働いている自衛隊員のために、国民から募って慰問袋を送るというのはどうだろう。外地にいるとき、ああいうものは、本当にうれしいものだ」と言われたこともありました。ものすごいプラグマティストでありながら、情に厚い人だなとも感じていました。
いろいろと思いがあったのでしょう。戦没者の慰霊・追悼事業にも熱心で、ハバロフスクにシベリア抑留者の追悼祈念碑を建立した際も、私財を提供したと記憶しています。大東亜戦争全戦没者慰霊団協議会や千鳥ヶ淵戦没者墓苑奉仕会、特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会などの会長も務めていました。「幾山河」の印税も、確か慰霊・追悼事業に全額寄付したはずです。
パール博士顕彰碑建立委員会の委員長でもありましたね。この顕彰碑は京都市東山区にあるそうなのですが、残念ながら行ったことはありません。瀬島氏に、自身も出廷した東京裁判についてのコメントを求めると「本質は、勝者が敗者を腹いせや、復讐のために裁いたにすぎなかった」と述べていました。大東亜戦争は自存自衛の戦争だったというのが持論でした。
一度、永田町で瀬島氏と某大新聞社のトップがけんかしたという噂が流れたことがありました。その真相はと瀬島氏に聞いたところ、珍しく顔をしかめて「けんかなどしていない。ただ、Wさんはビールを飲んでいるうちはいいが、ヒヤ酒をコップで飲むようになると、わけがわからなくなる」とこぼしました。さて、だれのことでしょう。
まだまだいろいろな思い出がよみがえってくるのですが、あまり個人的なことを書いても仕方ないので、最後に、「幾山河」の中から、昭和天皇に関する瀬島氏の証言を一つ紹介します。もうご存じの人もいるでしょうが、私は「幾山河」の編集中、瀬島氏の原稿をチェックしていてこの部分で目をはらしてしまったもので。
《昭和18年5月12日、アッツ島守備隊は強力な米軍の急襲上陸を受けた。山崎部隊長以下2千数百の将兵は勇戦敢闘したが、衆寡敵せず、5月下旬、現地の戦況は、極めて憂慮すべき事態に立ち至った。
この状況は毎日上聞に達せられていた。5月24日の参謀総長上奏の際、陛下より「山崎部隊は本当によくやった」という趣旨の御沙汰があり、直ちに参謀総長から現地部隊に伝達され、山崎部隊長からも「恐懼感激、最後まで善戦健闘する」旨の返電があった。私はこのころ、南太平洋・東部ニューギニアの戦線へ出かけていたが、大本営から急遽帰京せよと命令を受け、5月20日ごろ東京へ着いた。
29日、現地部隊最後の夜襲攻撃に先立ち、決別の電報が大本営に入り、それには本電発信とともに暗号書を焼却、全無線機を破壊するとあった。誠に悲痛きわまりない最後の電報だった。
本電を直ちに宮中へお届けし、翌30日早朝、杉山参謀総長は拝謁の上、上奏した。私はこの参内に随行した。随行の折は随行者は別室で待機し、上奏が終わると総長が別室へ顔を出し「帰ろう」と言うのが通常だったのに、総長はこの日は別室に顔を出さず、ただ黙々として廊下を歩いていった。私は急いで追いかけ、総長の車に同乗した(私は左側座席を占め、運転手との間はガラスで仕切られてあった)。通常だと、坂下門を出たら車中でこの日の上奏内容、特に御下問と奉答について総長に聞き、随行者が車中でメモし、記録しておくのが習わしだった。しかし、この日に限って元帥はこちらから聞いても何も答えず、ただ黙然としていた。
私がさらに聞くと、杉山さんは口を開き、「きょうは陛下は静かに上奏をお聞きになり、何も御下問はなかった。アッツ島部隊の将兵を追悼されているように拝した。ただ御一言だけ『将兵は最後までよくやった。このことを伝えよ』と仰せられた。畏れながらただいま奏上いたしましたごとく、既に最後の総攻撃に入り、無線機は既に破壊していますので、聖旨をお伝えすることができないと申し上げると、陛下は『それでもよいから電波を出せ』と仰せられた」。
そして、総長は私に対し「帰ったらすぐ発電するように」と指示した。それを聞いて、私は涙があふれてメモを書くこともできず、杉山さんも言い終わると静かに目を閉じていた。こと切れた子供の名を呼び続ける親の気持ちのような大御心だと思われた。
私は、帰庁後直ちに御沙汰の電報を起案し、アッツ島へ向け発電したが、普段だと約30分後には電報受領の返電がくるのに、このときは現地から何の応答もなかった。この旨、電話で侍従武官へ報告した。》
http://abirur.iza.ne.jp/blog/trackback/290750
2007/09/05 13:46
私のような若輩者にはすでに歴史上の出来事と認識してしまいますが、当時の出来事も当然の事ながら人と人のつながりの上で成り立っているという事を再認識させていただきました。
2007/09/05 13:56
2007/09/05 14:04
阿比留様
阿比留さんのエントリはじめ、最近たまたま何度か瀬島氏に関する話に接することがありましたが、まさか訃報にも触れるとは。
昨夜のTVニュースでは、歴史の内幕を公にして欲しかったというコメントがありましたが、真実を墓に持っていかれた瀬島氏の意思に敬服しました。
私も知りたいという思いもありますが、その及ぼす影響により上を穢すことを避けられたのかなあ、などと思いを馳せております。
それにしても、やはり歴史は続いている、生きているんだなと。
合掌
2007/09/05 14:20
阿比留さま
こんにちは。いつもエントリーを拝読しております。
朝刊の瀬島氏の記事に、貴殿の署名記事がありましたのでブログにもエントリーされるだろうとお待ちしておりました。
私は、「幾山河」を10数年前に購入し本棚にしまったままにしていました。昨夜から再読を開始しました。読みきれるかが心配ですが、10数年前よりも感じ入るものがあるように思います。
2007/09/05 14:30
「それでもよいから電波を・・・」。以前知人にこの話を紹介しようとして、声が震えて絶句したことがあります。何度読んでも目頭が熱くなるエピソードです。
今朝の産経の瀬島龍三関連の報道は阿比留さんの記事をはじめ、全体として目配りが届いていて素晴らしかった。軍人として、実業人として彼が成し遂げた仕事はもちろん要領よくまとめられているし、労務提供密約の与太話(この話も、満州に来たソ連軍は犯罪者部隊だった説も以前から単なる左翼の願望と思っていますが)は石川水穂さんがきっちりと否定しているし、台湾沖航空戦の電報握り潰しについても保坂正康のコメントの形で出ているし・・。
お世辞ではなく、産経を取っていて本当に良かった、と思えた朝でした。
2007/09/05 14:36
久しぶりにコメント入れさせていただきます。
亡き父の事を思い出しました。
私の父は大本営勤めの無線担当兵でした。
黙して語らぬ父より中学二年の宿題用に聞き出した覚えがあります。
交戦中の部隊との通信で、通信が終わらぬ内に途絶、全滅してしまったことがあったと。
音声通信ではなく符合による通信であっても、とても辛い思いだったとの事。
未だ想像し難い事柄です。
2007/09/05 14:55
瀬島龍三さんは昭和という時代を存分に生きて人生を全うされた事は
ご本人にとって幸せだったとも言えます。近代の日本は昭和の時代が
最も難しく、反面に最も変化に富んだ時でもありました。瀬島さんは
日本陸軍の中核として関東軍で辣腕を振るい戦後にはシベリア抑留も
体験された数奇な運命を戦後の復興に生かした業績は誰もが知るとこ
ですが戦争や昭和の生き証人としてもっと生きて欲しかった。
阿比留さんが瀬島さんとお会いできたのはとても幸せだったと思います。
不肖、私も子供の頃は生粋の軍国少年で瀬島さんのように士官学校から
陸軍大学を経て将校になりたかった。そのために勉強した頃を思い出す。
今ではどうして日本は愚かな戦争をしたのか、軍部が悪かったとかが
定番のように歴史を振り返りますが、軍の誰が悪いのでなく時の流れは
誰もが堰を止められなかった、瀬島龍三さんもそう思っていたでしょう。
産経抄にもあるように宮沢喜一元首相、宮本顕治共産党元委員長、そして
瀬島龍三さんが世を去って、戦後レジームの脱却は確実に進んでいます。
彼らが死にもの狂いで生きた昭和のしたたかさを今がいちばん求められて
いる気がしてなりません。安部首相をはじめ最近何か気が抜けているのは
苦労の体験が彼らと桁外れに違う事なのでしょうか。日本の尊厳と自信を
瀬島龍三さんは安倍晋三首相に熱気で語ってもらいたかった。
http://d.hatena.ne.jp/harimaya/
2007/09/05 15:26
shanfu様
そうですね。日本の政治も外交も、みんな人と人とのつながり、親和性や好き嫌いによって構成されているように思います。新聞記事で「政府は」と書くと無機質に感じられますが、実際は主義主張も好き嫌いもある人間の集まりですし。
2007/09/05 15:27
staro様
鳥越氏は別に、これまでの瀬島氏の言動をウオッチしてそう結論づけたのではなく、世間で何となく言われていることをもっともらしく言っただけでしょうね。
2007/09/05 15:31
陛下は「それでも良いから電波を出せ」のところから、涙があふれて読み続け出来なくなりました。
民主主義では、陛下のようなリーダーを選ぶことも、育てることも出来ないと頭に浮かびました。日本人に生まれた感激を知らないサヨクの人たちには、やはり分からないでしょう。
2007/09/05 15:36
文中に、南方戦線で日本兵が圧倒的不利な戦況下で玉砕を遂げている時に、東京大本営に帰国した、とあります。
当時南方戦線では、飢餓や玉砕で多くの若者が亡くなっていた筈です。
私はこの方の戦争観には、納得出来ないものがあります。
2007/09/05 15:46
先帝は現人神として国民に愛され
人間宣言された後、廃墟となった
全国各地を御幸されました。
惜しむらくは現皇太子徳仁親王に
カリスマ性を感じられないことです。
家族を大事に思うあまり、妃殿下の
人格否定発言をして心ない人から
皇籍離脱してはと叩かれる。
皇室をめぐる環境は徐々に
悪化している感があります。
これからが正念場です。
文責 森浩
2007/09/05 16:00
阿比留記者、こんにちは。
わたしは、四十数年前のことを思い出しました。わたしは結婚を許していただこうと、東京の下町に妻の叔父を訪ねました。子供のいなかった叔父は、妻を養女とするつもりだったのです。その叔父は、小さな鉄工屋さんでした。しかし居間の書棚には、戦時中の資料が所狭しと並んでいました。聞けば、瀬島龍三参謀の副官だった…とのこと。就職したばかりの若造であったわたしは、瀬島参謀ということもその副官であったという妻の叔父のことも、その重要性がわかりませんでした。それを覚ったのは、妻の妹を養女にされ、安心して逝かれた後でした。お葬式に参列した時、遺言によって資料は廃棄処分されていましたが、親族の方から思い出としてのお話を賜ることが出来ました。
その十年ほど後、1995年9月30日付初版第1刷「瀬島龍三回想録『幾山河』」(扶桑社)が書店に並び、わたしは飛びつくように走りました。最後のページの「蔵書印」の日付は、「'95(H7)9.22」となっています。 半分ほども読んでいないようです。いまからでも遅くない、こんどは読破しましょう。
いまその本を書棚から引っ張り出したら、9月22日・24日付産経新聞「瀬島龍三回想録幾山河出版記念対談」という記事が切り抜かれ、挟み込まれていました。少し黄ばんだ紙面も、いまとなっては懐かしい。
確かに、昭和という時代は去ったのですね…。
2007/09/05 16:00
Bookers様
95歳でしたから、あるいはそういうこともあるかとは思っていました。ただ、新聞やテレビで、いろんな方が「瀬島が語らなかったことを聞きたかった」と述べていますが、もうすでにけっこう明らかにしているようにも感じます。個人的には、伊藤忠入社後の航空機商戦について聞くと、「その権限、立場になかったから」とほとんど触れようとしないなとは感じていましたが…どうなんでしょう。
2007/09/05 16:03
ウルリケ(便所の落書き屋)
>大本営から急遽帰京せよと命令を受け、5月20日ごろ東京へ着いた。
これか?
おまえは大本営からの命令に背いて一緒に餓死しろというのだな?
おまえは大本営の命令に逆らえと?
ほほ~
それなら関東軍の石原の行動も、二・二六事件も正しいのだな?
いかれた歴史観はウジ虫の湧いているその脳味噌から生まれるのか?
2007/09/05 16:04
N.Miura様
こんにちは。幾山河は、お手伝いした当時の私の今以上の文章力のなさ、拙さもあって、分厚いだけに読みにくいですよね…。シベリア抑留中のエピソードなどは、読み返しても「そんなことがあったのか」と胸に迫るものがありますし、やはり貴重な歴史の証言だなと思います。
2007/09/05 16:35
hippokampos様
産経のご購読ありがとうございます。シベリア密約説の怪しさについては、私はかつて、石川水穂記者の部下として一緒に取材していました。その中で、過去のエントリで取り上げた元関東軍参謀、草地貞吾氏や、全抑協の斉藤六郎氏らに取材し、瀬島氏にも取材したという経緯があります。
2007/09/05 16:35
瀬島氏が前に『日本軍はよく戦った。特に南方の島々で戦った若い人達、、』と
万感の思いのこもった声で、おしゃったのを、忘れることが出来ません
この時私は初めて『瀬島龍三氏』を知りました。
すごい方だったのですね。
これから先の日本に氏の様な方は、出てはこないのでしょうね。
瀬島氏は今の日本をどう見ていたのでしょうか?
瀬島氏の事を、よく思っていない方もいるようですが
某大新聞社W氏と『大喧嘩』なさった人なら、きっといい人ですね(^_^;)
2007/09/05 16:52
scopedog様
こんにちは。>黙して語らぬ父より中学二年の宿題用に聞き出した覚えがあります。交戦中の部隊との通信で、通信が終わらぬ内に途絶、全滅してしまったことがあったと。…そうですか。戦争というものを考えさせられます。電報を出す方も、受ける側も人間であり、そこにはいろいろな思いもドラマもあるのだなあと、改めて思いました。
2007/09/05 17:13
瀬島さんは陸大トップ卒業の、典型的なわが国的人士だった。海軍に行っておれば、ハンモックが一番だったろう。
霞ヶ関の官僚もそうだが、日本型秀才には仁義の人が多い。ひょうひょうとされているようで、ひとたび言い出したら容易に引かない。
わが国は非エリート国家だ。エリートなど、天皇を除いて存在しない。
この方には、安物のメディア人による「エリート」という安易な言葉がついてまわったが、なんとも残念なことであった。ご本人としても不本意だったのではないか。
日本でエリートと称される人のほとんどが、ただのバカだからだ。
2007/09/05 17:20
>日本でエリートと称される人のほとんどが、ただのバカだからだ。
ぎゃはははははは
全くで
筑紫哲也、田原総一郎、鳥越俊太郎、加藤千洋、佐高 信
本多勝一、本田雅和
新聞記者もこってりいますな(笑
2007/09/05 17:22
産経新聞記事とこちらで、瀬島氏の考え方や生き方に共感しました。
昔、伊藤忠商事からの、挨拶文が一時送り仮名が「カタカナ」になったことが有って、この発案が、瀬島氏だったとか、定かではないですが、そんな話を思い出しました。
昭和もどんどん、昔になって行きますね。
今のうちに、昭和の正しい歴史を、若い人たちに、残したいですね。
2007/09/05 17:25
harimaya様
昭和という時代が、また一歩遠くなったような気がします。もうすぐ、平成生まれの成人も誕生します。>今ではどうして日本は愚かな戦争をしたのか、軍部が悪かったとかが定番のように歴史を振り返りますが、軍の誰が悪いのでなく時の流れは誰もが堰を止められなかった…。私もおおむねそう思います。後世から非を鳴らせばいくらでもそれはできますが、そこに至る必然性というか、大きな時代の奔流のようなものもあったのでしょう。
2007/09/05 17:25
阿比留様
お疲れ様です。
今から30年程前、日本はロッキード事件の騒ぎの中にありました。丁度その頃「不毛地帯」が封切られ、「華麗なる一族」、「金環蝕」と権力サイドに巣食う悪と不正を糾弾するという風潮が一つのピークを迎えていました。不毛地帯に象徴されるもう一つのテーマは、エコノミックアニマル批判に見られるような資本主義退治ブームだったと思います。共産党が躍進し、今にも自民党政治がぶっ倒れるかのごとくでした。日刊ゲンダイの見出しが「こうなったら革命しかない」などと(今と全く同じように)センセーショナルに踊っていたことを思い出します。この状況と今の「政治とカネ」だの「格差」だのを憎む風潮との間に類似性を見出しているのは小生だけでしょうか。
当時学生だった小生は、不毛地帯の主人公・壱岐のモデルがいることを後に知りました。そして、その瀬島龍三氏が、終戦から戦後にかけて日本の軍事、政治、経済の裏の仕掛け人であるという情報が巷にあふれ、今振り返ると、ある種奇怪な黒幕的人物像が小生の中に構築されていったのではないかと思います。
瀬島さんとは10年ほど前に、とある会合でお会いしました。その1時間ばかりの会議の議長として、瀬島さんは明晰な理解力と判断力で、しかしながら物静かな口調でお話をされていました。小生は、個人的には数分お話しただけですが、端正な物腰と、意外に小柄な印象からは、それまで聞かされたり読まされたりして自分の中に出来上がっていた人物像とは全く異なるものを感じました。一種の柔らかさというべきものかも知れません。
このギャップは何なのか。それまで小生は、なるべく客観的に人や事物を見ようと心がけてきたつもりでしたが、知らず知らずのうちに、ためにする議論によって人間の持つイメージにはバイアスがかかってしまうのだなと、そのとき思ったものです。
今瀬島さんも鬼籍に入られ、阿比留さんや大島さんのお書きになったエピソードを改めて拝見すると、君臣にとどまらず日本人の心の中には、ものの見方や感じ方、身の処し方において、同じものが共有されていた時代があったのだなあと再認識するとともに、それが今やほとんど失われているのだという事実に愕然とする思いです。
瀬島さんのご冥福をお祈りしたいと思います。
2007/09/05 17:30
qendo18kai様
そのときの雰囲気、空気、表情といったものが、視覚的に立ち上がってくるかのような証言だなと思います。>日本人に生まれた感激を知らないサヨクの人たちには、やはり分からないでしょう。 …日本人であることを恥じ、憎むような仕向ける勢力はまだまだ強力です。何をひがんでいるのだか。
2007/09/05 17:49
ウルリケ マインホフ様
いろいろな意見、見方があるのは当然ですが、瀬島氏が東部ニューギニアを視察していたのは、補給もままならないなど事態が深刻化しつつあったためであり、急遽、大本営に呼び戻されたのはアッツ島に米軍が上陸したからです。詳しくは「幾山河」189ページをご覧ください。
2007/09/05 17:51
森 浩(奈良)様
皇室をめぐる環境・情勢は確かにあまりよくありません。皇室典範や皇室経済法改正なども重要ですが、参院選の結果、それをやるだけの余裕が安倍内閣(自民党政権)には当面なくなりました…。
2007/09/05 18:10
jess-kun様
こんにちは。>居間の書棚には、戦時中の資料が所狭しと並んでいました。聞けば、瀬島龍三参謀の副官だった…とのこと。…それはそれは。このようなコメントをいただくとは思っていなかったので、驚きました。戦時中の資料が焼却されたのは残念ですね。どういうものであったかは分かりませんが。ええ、昭和は遠くなりにけり、です。
2007/09/05 18:15
今日ほど、阿比留さんの記者としての職業を羨ましく思ったときはありません。歴史上の人物になられた瀬島氏と直接お話をされたことに対してです。いい加減な人たちの中傷はありますが、それなりの人たちがあれほど評価した人物も少なかったでしょう。人にはいろんな面があり、どれだけ偉大な人物達がその人を認めるかによって価値がきまっていくと思います。
私も一目でいいからお会いしたかった。瀬島氏の一面を垣間見せえていた抱いてありがとうございました。
井上政典
2007/09/05 18:16
To ウルリケ マインホフさん
既にstraroさんがコメントしておられることについては、その通りなので言いませんが、いかに匿名とはいえ、あるいは匿名なら尚更のこと、したり顔で死者にむち打つような物言いは、日本人として非常識ではありませんか。
言いたければ別の機会にすべきでしょう。
2007/09/05 18:25
kinton様
戦争体験者の方々には、それぞれの経験と思いがありますから、瀬島氏のように軍幹部の経歴を持ち、戦後も成功した人間の毀誉褒貶が激しくなるのは仕方ないのでしょうね。>瀬島氏は今の日本をどう見ていたのでしょうか?…常に政治の動きや経済動向を、国際情勢も含めて見守っていたように感じます。95年の人生の最期に何を思ったかは、想像することもできません。
2007/09/05 18:55
kinny様
トラックバックありがとうございます。私もずっとエリートという言葉には違和感を覚えてきました。だれが、何をもってエリートと認定するのか、またエリートと非エリートにどんな区別があるのか、そもそも日本社会にエリートなど存在するのか。はっきり言っていただき、痛快です。
2007/09/05 18:57
阿比留 様
瀬島氏の「幾山河」の編集を手伝われたのですか。それは得がたい経験ですね。その作業中には氏のなにげない言葉などからも学ぶところがあったのではないかと拝察します。瀬島氏も阿比留さんという有能な若手に接して著書の記述にも力が入ったことでしょう。
私は戦中生まれで阿比留さんよりは年上ですが、瀬島氏については元大本営参謀の怪物的な人という一般的な知識しかありませんでした。
正論の10月号の巻頭の「折節の記」に中条高徳氏の「瀬島清子刀自」という思い出が出ています。後輩から見た瀬島氏の人間性と夫人に対するお気持ちが語られています。阿比留ブログのファンの方々は既にお読みの方が多いとは思いますが、内容を紹介させてください。
陸軍士官学校60期生であった中条氏は本土決戦のために陣を敷いていたときに終戦を迎えて帰郷し、その後は日本の復興のために働いたが、瀬島氏より多大な指導を受けた。6月15日に夫人が逝去されたが、喪主たる瀬島氏も病床にあり、欠席されるので、葬儀には極く身近な方々だけが参列された。
葬儀の後で瀬島氏の孫に当たる方より届いた手紙の一部が紹介されている。「 ・・・略・・・おばあちゃんは・・・娘二人を六畳一間で育てながら工場や靴磨きまでして働き、家庭を支え、戦前・戦中・戦後をとても苦労された方でした。・・・棺が自宅から運ばれる時、おじいちゃんが大声をあげて泣いていたのが印象深く残っています。」
2007/09/05 19:26
To 無駄話さん
> おばあちゃんは・・・娘二人を六畳一間で育てながら工場や靴磨きまでして働き、家庭を支え、戦前・戦中・戦後をとても苦労された方でした。・・・棺が自宅から運ばれる時、おじいちゃんが大声をあげて泣いていたのが印象深く残っています。」
私も読みました。大声をあげて泣いていた「おじいちゃん」と瀬島龍三が頭の中で直ぐには結びつかず、読み返してやっと理解しました。痛ましい、しかし、美しい話だと思い、粛然とした気持ちになりました。読んだその翌日訃報に接しました。
2007/09/05 20:26
補給もままならない為に東部ニューギニアを視察していたとありますが、まさにその為に、数え切れない程多くの日本兵が、餓死や栄養失調症で亡くなられたのではないですか!!
まさに参謀本部の戦略や補給計画の大失敗であり、氏にも大きな責任があります。最前線で抗戦し、ジャングルで衰弱死してゆく多くの日本兵の無念を、前線で銃を担いだ経験のない氏が真に理解しえたのか、疑問を抱かざるを得ません。
朝刊に、戦後の国家賠償問題や航空機選定に関する氏の行動に疑念を呈する記事が載っていました。
美談は美談として、氏を賞賛する戦争経験者ばかりではないことも、伝えられるべきです。
シベリア抑留中の行動も、本当のところを知りたく思っております。
2007/09/05 20:39
阿比留様
いつも読み応えのあるブログをありがとうございます。
記者として第一線で働いてらっしゃる阿比留さんを、とても羨ましく、とても勇ましく思っています。
本日のブログは、、、後段で目頭が熱くなりました。
陛下は『それでもよいから電波を出せ』と仰せられた・・・
当時、日本国の中で一番国民のことを思い、ご心痛の極みであった先帝陛下ならではのお言葉ではなかったかと。
瀬島隆三氏のお名前はよく聞いております。
一人、また一人と、昭和の激動を目の当たりに生きてこられた国士がこの世を去って行かれるのは寂しい限りです。
平成の世に、彼のような御仁が出てこないものかと、せめて安倍総理には日本のリーダーとして我々国民を引っ張っていただきたい。
そう願うばかりです。
2007/09/05 20:39
こんばんは。
阿比留様
署名記事読ませていただきました。
歴史の1ページがまた天命とはいえ消滅しました。
>山崎豊子氏のベストセラー小説「不毛地帯」の主人公のモデルでもあった・・。壹岐正を映画では仲代達也がどこか影のある、もと大本営参謀を好演していました奥様役は確か八千草薫だったと記憶していますが。今朝の読売新聞「編集手帳にも「光よりも影の似合う人だった。参謀とはそういうものかもしれない」とありました。瀬島氏は今の政治やマスコミををどう見ていられたのでしょう。
2007/09/05 21:36
2007/09/05 22:27
瀬島さんの評価は分かれるところですね。
私は中川八洋さんの著作が好きで読んでいるのですが、
がちがち保守の中川さんに言わせれば
瀬島さんは「赤の官僚軍人」というマイナス評価だった記憶があります。
それ以来、瀬島さんにはいい印象を持っていませんでした。
でも、中川さんに言わせれば「中曽根さんも売国奴」扱いされていましたが・・・
大島さんのエントリーは素直に感動しました。
森 浩(奈良) さん ではないですが、
昭和天皇のカリスマ性は強すぎたのかもしれません。
2007/09/05 22:52
阿比留記者
> この顕彰碑は京都市東山区にあるそう...
木戸孝允や坂本龍馬、中岡慎太郎等明治維新で非業に倒れた志士達の墓がある事で知られる霊山護國神社の一角にあります(道路寄りにある割と大きい顕彰碑でした)。 神社(というより霊園に近いが...)の境内には各地方の大戦戦没者顕彰碑なんかも多いので、瀬島氏なりの「鎮魂」の意味もあったのではないかと推測します。 浅学な私は'98当時訪問して初めてパール判事の存在を知ったのも事実なわけでして...少なくとも「顕彰/宣伝効果」は実証された訳です(苦笑)。 もっとも、元伊藤忠グループ関係者的には同碑建立協賛者のなかに「I藤忠商事」「Aサヒビール」等々関連する企業名が列記してある事に多少辟易したのも事実ですが♪
東京裁判の正当性がまだ絶対的に支持されていた頃にあれが建立されている事を思えば、単に「秀才中の秀才」という評価だけでは語れない彼の一面を伺えるのかも知れませんね...喰わず嫌い(帝国海軍萌え派なもんで♪)から瀬島氏関連の著作は全く手にしておりませんので、体感からの想像です...
2007/09/05 22:57
ウルリケ何とかさんのように、今さら死者に鞭打つような批判まがいのことを書き込むような必要性はさらさらないと思います。
「昭和の巨星」が、また一つ逝ってしまった・・・。心からお悔やみする。それだけで十分ではないかと小生は思います。
小生3才半の頃昭和19年の春だと思いますが、当時の満州奉天(今の瀋陽?)に従軍中の叔父を慰問に行ったそうですが、彼は既に南洋に転戦しており、したがって小生には叔父の記憶というものは全くありません
ただ、逢えずに行った動物園に虎がウジャウジャいたことだけは鮮明に覚えておりますが・・・・。
その叔父も後で東部ニューギニヤで戦病死したことが分かりましたが、それがウ氏の云うように瀬島氏の、大本営の、日本軍部の責任だとしても戦後60数年、今さらどうでも良いことだと思います。先に逝かれた人に対しては等しく「ご冥福をお祈りする」、それが日本人としては当然の行いだと思いますが違うのでしょうか・・・・。
阿比留さんすみません、個人事ばかり書き込んでしまいまして・・・・。
2007/09/05 23:06
阿比留様
瀬島氏についての記事を新聞買って読んで色々考えましたが、私はどうしても瀬島氏に対しては批判的なスタンスしか取れません。彼のような軍務官僚が敗戦責任の一端を担った事を考えれば、たとえ彼を利用しようとする輩があまたいたとしても、それに応ずる資格は無かったのではないかと考えております。
瀬島氏の様な「超エリート」が未だに日本の高級官僚として跋扈している省庁が多いと思いますが、彼らは瀬島氏や彼が属した組織の連中と同じ結果を既にもたらしている気がしてなりません。
他にも色々考えましたが、このブログ読者に叩かれるのは必至なので止めておきますが。
2007/09/05 23:08
安倍首相の所信表明演説の一部に「改革の影の部分に光を当てる」と、都市と地方の格差是正に取り組む考えを明確にする。とある。
しかし都市と地方だけでなく、都市の中にも大きな格差があるのを忘れていると思う。
参院選では1人区(地方)で民主野党が23勝6敗だったけど、3人区以上の大都市選挙区でも民主は完勝、自民は苦戦・公明は惨敗。
2007/09/05 23:27
阿比留様
感動的なエントリを読ませていただきました。瀬島氏の訃報を聞いて、個人的には「シベリア抑留」という言葉が重く感じられます。父もシベリアに抑留されて、九死に一生を得て帰ってきたのですが、抑留中の経験については、ほとんど口をつぐんだままでした。それほどまでに辛い体験だったのだろうとしか言えません。瀬島氏が抑留体験についてあまり語らなかったのも、一脈通じるものがあるのかもしれないと想像しています。
ところで、うちではY紙をとっているのですが(産経でなくてすみません)この頃Y紙の報道姿勢がどうもおかしいと感じるようになっています。社説は比較的まともなのですが、編集手帳に首をかしげることが多くなりました。W氏がコップ酒ばっかり飲んでいるような印象です。どうなっちゃったのでしょうね。
2007/09/06 00:26
瀬島龍三氏が亡くなりました。
阿比留さんのエントリにあることも、ひとつの確たる事実でしょう。
ですが、瀬島さんが、戦前、戦時中からシベリア抑留時代までにいたる、たくさんの秘密を抱え込んだまま、何ひとつ語らずに、あちらの世界に行ってしまったのも確かです。
そのあたりの事情は、この先の歴史学が明らかにしていくのでしょう。
いずれにせよ、生きているわたしたちにとっては、ひとつの命が失われたのは悼むべきことです。
瀬島さんのご冥福をお祈りいたします。合掌...。
2007/09/06 00:39
阿比留様 初めまして
最近、落涙する事など無かったのに・・・参りました。
ところで以前見た韓国の全斗煥政権が題材のドラマ”第5共和国”の中に2度ほど登場する唯一の日本人が瀬島さんでした。
1度目は、朴正煕大統領亡き後、実権を掌握しつつある全斗煥将軍がこのまま大統領につくべきか、同期の盧泰愚将軍と相談し、朴正煕元大統領の帝国陸軍士官学校時代の先輩で朴正煕元大統領の良き相談相手だったとされる瀬島氏に韓国内で密談する場面。
2度目は、財政難に苦しむ全政権が韓国内の料亭?にこの方を招待し、日本に財政支援をお願いする場面。
全大統領の申し出額の大きさ(数十億ドル)にあきれながらも、これに1人で応じるのはこの方の日本国での立場の説明がなく、私が分かって無かっただけに驚きでした。
全大統領が瀬島氏のことを”先輩、先輩”と親しく語りかける場面は印象によく残っています。
あっ、これはあくまでドラマ内の話です。字幕が合っているかも分かりません。
ただ、エントリーやコメントを読むと私の中ではドラマの中の話がなんだか現実味を帯びてきます。
韓国のドラマを制作した人たちのこの方への印象はその様なものなのでしょうね。
2007/09/06 07:29
soto(生ゴミ)
お前はまだ質問に答えていないが、便所の落書きする為にここに
来ているのか?
北朝鮮の資源はどうした?
デマを書き込んだまま、だんまりか?
お前は北朝鮮の工作員か?
2007/09/06 07:32
北朝鮮擁護の、soto
北朝鮮には資源がないというデマを訂正しろ
幼稚な書き込みをしてデマで煽動する腐れsoto
【ソウル=黒田勝弘】金正日総書記の訪中などで中朝の経済関係強化が伝えられる中、中国による北朝鮮での石油や鉄鉱など資源開発の動きが活発化しているが、中国は新たに北朝鮮のウラン資源に注目し共同開発に強い関心を寄せている。
中朝関係に詳しいソウルの消息筋によると、北朝鮮のウラン埋蔵量は世界的水準で、エネルギー不足に悩む北朝鮮も最近、エネルギー資源としてウラン鉱開発に期待を強めているという。
この点に関し韓国の鄭東泳・前統一相は先ごろソウル外信記者クラブの会見で、北朝鮮が軽水炉(原発)建設にこだわる背景について「埋蔵量の多いウランをエネルギー開発に利用したいためではないか」と述べている。ただ中朝が共同で北朝鮮のウラン資源開発に乗り出す場合、北朝鮮の“非核化”はさらに難しくなる可能性があり、その行方は国際的に注目される。
北朝鮮の“核兵器開発疑惑”では自前の天然ウランを使った濃縮疑惑が米国から指摘されており、北朝鮮が独自に採掘、精錬などウラン開発を進めている事実は亡命者情報などでも明らかになっている。
日本統治時代の資料でも北朝鮮西部の平安道や黄海道が主な産地で、とくに現在の黄海南道白川や平安北道朔州などで高品位のウラン鉱の存在が確認されている。このほか中朝国境地帯を含め現在、十カ所以上のウラン鉱山があるといわれる。
その埋蔵量に関しては日本原子力産業会議の資料で推定値として「四百万トン」説がある。現在、世界で経済的に採掘可能のウラン資源は二百万トンといわれていることからすると、推定埋蔵量とはいえ北朝鮮のウラン資源は相当なものだ。
中国は近年の経済膨張から世界各地で資源確保に血眼になっており、北朝鮮との間でも鉄鉱や金鉱、石炭などのほか海底油田の共同開発で合意している。
中国はエネルギー対策として沿岸部を中心に原発の建設を急いでいるため核燃料のウラン確保にも懸命だ。「北朝鮮に対する経済支援・協力の見返りとして、北朝鮮の豊富なウラン資源に目を付けた可能性は大いにありうる」(同筋)という。
2007/09/06 08:29
one20020530様
おはようございます。昭和がどんな時代だったのか。みんな知っていて当たり前と思っているうちに、昭和なんて全然知らない、という世代がどんどん多数派になっていくのでしょうね。大事なことは伝えていきたいです。
2007/09/06 08:34
heavyheavy様
30年前の日刊ゲンダイの見出しには苦笑させられました。>知らず知らずのうちに、ためにする議論によって人間の持つイメージにはバイアスがかかってしまうのだなと、そのとき思ったものです。…これは本当にそうなのでしょうね。特にメディアは、ある人物に対してレッテルを張って、イメージを固定化することを「わかりやすい」として喜ぶ傾向が強いですから。>日本人の心の中には、ものの見方や感じ方、身の処し方において、同じものが共有されていた時代があったのだなあと再認識するとともに、それが今やほとんど失われているのだという事実に愕然とする思いです。…重いご指摘です。日本の現状をみるときに、哀切に近い感情がわき上がってきます。
2007/09/06 08:37
masanori1201様
そうですね。記者という職業は、さまざまな分野の人に会う機会があるのは本当です。そのうち、なにがしかの縁があった人は、その後も思わぬ場所や場面で邂逅することがあり…。そういう意味ではありがたい仕事だと思っています。割にあわない部分もたくさんあるのですが…。
2007/09/06 08:43
masanori1201様
いえいえ、私は瀬島氏に「どうも達意の文章ではないな」と叱られたりしていました(苦笑)。奥様のことについては、6月24日のエントリ「追悼・瀬島清子さん」で取り上げました。苦労をかけ、70年間連れ添った妻に先立たれたことは、瀬島氏にとって大きな悲しみだったのでしょうね…。
2007/09/06 08:47
ウルリケ マインホフ様
視察したために兵が亡くなったり、苦しんだりしたというわけではないでしょう。おっしゃりたいことは分かるような気もしますが、軍隊という組織に作戦参謀も含めていろいろな役割分担がある以上、だれかがその地位についたはずです。また、瀬島氏は膠着した前線からの撤兵作戦なども起草、実行しており、部隊に感謝されたりもしていました。「幾山河」をお読みくださればわかると思います。
2007/09/06 09:17
kawa様
もはや受け取り手のいない電報を打つように命じられた陛下のお気持ちを思うと…。歴史や戦争というと、簡単にいいとか悪いとか評価してしまいそうになりますが、それも夢も希望も感情もある一人ひとりの人間が織りなし、積み重ねたものだと思うと、あまりに分厚く重たい現実にめまいがしそうです。明治の男がまた一人去りました。
2007/09/06 09:20
くぼた様
こんにちは。記事を読んでくださり、ありがとうございます。>今朝の読売新聞「編集手帳にも「光よりも影の似合う人だった。参謀とはそういうものかもしれない」とありました…。ご本人はほがらかによく笑う人でもありましたが、確かに「光」が似合うかというと、そういうタイプでもなかったような気がしますね。現在の日本のありようについては、きっと心配されていたでしょうが…。
2007/09/06 09:54
視察した時点では既に前線の補給が途絶えがちになり、多くの飢餓や衰弱者を出していた筈です。そこに大きな責任がある訳です。
あるA級戦犯の息子さんもシベリアに抑留され、他の兵から白眼視されたり、思想教育を受けて社会主義者となり帰国したことなどを赤裸々に語っております。軍幹部であった瀬島氏が、多くの死者を出したシベリア抑留から無事に帰国出来た背景にある真実を知りたいのです。少なからぬ数の人が、不思議に思っております。
氏は果たして敗戦責任を自覚されていたのでしょうか?
「幾山河」を読めとおっしゃいますが、内容に全ての真実が暴露されているのでしょうか?
2007/09/06 09:57
阿比留様
昭和の歴史の証人を失いました。この後、この方もサヨクのプロパガンダに利用されるのだろうなと・・・。
現在の言論空間では、情報を残すメリットよりもデメリットの方が遥かに大きいと判断されたのかなと。瀬島氏のご冥福を祈り、しかしながら、情報という物の価値を知り尽くした瀬島氏が敢えて残さないと決めた現実、現状の言語空間を残念に思います。
ところで、石川水穂記者の記事中に、シベリア抑留は、約60万人がソ漣に連行され約6万人が死亡した事件とありましたが、この数字は、何処から出たものでしょうか?
2CHなどではソ漣の公式発表の数字だという説があります。だとすれば、南京30万人、慰安婦20万人と同様に検証が必要におもいます。
"Behind a Curtain of Silence:Japanese in Custody,1945-1956"
by W.F.Nimmo
「プリンス近衛殺人事件」 by V.A.アルハンゲリスキー
などは、100万人以上連行され、30万人以上が死亡。ソ漣は、証拠隠滅の為に日本兵の墓地をブルトーザーで整地して木を植えて痕跡を消したと書かれています。
そろそろソ連に関する歴史にも光を当てても良いのではないかと。外国人が、検証しているが、日本国内では、どうなのだろう?そんな思いを持ちました。
2007/09/06 09:58
ウルリケ(便所虫)
話をすり替えるなと言っているのだ
お前は「大本営の命令に反してでも餓死しろ」と言ったのだ
大本営の命令に反する事を支持するのなら
関東軍の石原を支持するのだな?
きちんと答えろ、クズ野郎
2007/09/06 10:03
ウルリケ(便所虫)
言い訳して、とって付けたようないちゃもん付けするくらいなら
最初から絡むな、ウジ虫
お前はどういう教育を受けて育ったんだ?
その腐った人間性は肥え溜めから生まれるのか?
2007/09/06 10:18
>私のような若造のヒラ記者が「久しぶりに雑談でも」とアポをとっても気軽に会ってくれ…
これだけのフレーズで氏のお人柄が語り尽くされているようです。
本当に偉い人は偉ぶらない。政界には偉く見せようといろいろノタマウ人が多くて…。
なお、瀬島氏の一文紹介の中で>上奏が終わると早朝が別室へ…総長が早朝に変換違いでは。老婆心ながら…。
2007/09/06 10:50
阿比留様
「官僚は、最終結果責任を負わない。」これは、或る意味当然と思いました。そのかわり、上の指示を忠実に責任を持って果たす。瀬島氏は、官僚として本当に優秀な人だったのだとおもいます。
佐藤優氏も似たような事を著書で言ってます。佐藤氏は、誰であろうと日本国の総理大臣を全力でサポートするのが、官僚(外交官)としての自分の仕事であると。
今の官僚達は、自分達の既得権益を守り、これからも国民の税金を掠め取り続ける為に、情報をリークし、安倍総理の背に矢を放ち、足を引っ張り続けています。本来ならば、全力でサポートすべき人に対して。その最終結果責任を負うのは、安倍総理。
官僚としての質は、天と地。全てではないにしても、生ゴミが多すぎる。勝手に判断して行動して結果責任からは、逃げる。本来の仕事は、サボって。社保庁などは、その典型。
2007/09/06 10:51
To staroさん
>筑紫哲也、田原総一郎、鳥越俊太郎、加藤千洋、佐高 信
>本多勝一、本田雅和
>新聞記者もこってりいますな(笑
日本の戦後教育が、いかに「にんげん」を育て得なかったか、が端的にわかるね。
...まあ、みるもむざんな。
2007/09/06 11:02
米下院、日本感謝決議を採決 慰安婦決議とテロ支援をセット
【ワシントン=山本秀也】
決議は米軍艦艇に対するインド洋での補給活動も評価対象に加えた。本会議での賛成討論も日本の対テロ貢献に言及しており、11月に期限を迎えるテロ対策特別措置法が延長されない場合には、決議で示された対日評価が米側での不満と失望に転換される可能性もあるようだ。
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070906/usa070906002.htm
慰安婦決議で裏切っておきながら感謝決議というのはバカにするのもほどがある。
親米派のお人好しには付き合いきれません。
そんなもの(テロ特措法)はアメリカへの嫌がらせで破棄すべし。慰安婦決議へのみせしめ。
2007/09/06 11:09
@隼人正様
官僚軍人ではあったでしょうが、「赤」だったというのはちょっと違うように思います。中川八洋さんの著作は面白いし、勉強になりますが、ときどき一方的に決めつけるような表現を見受けます。
2007/09/06 11:12
一閑様
顕彰碑について、いろいろと教えてくださり、ありがとうございます。私は、たまたま取材などで知り合った旧軍人が「陸」がほとんど(水交社関係者も何人かはいますが)なので、どちらかというと陸にシンパシーを感じます。でも、戦記小説などは、海の方をたくさん読んできました。
2007/09/06 11:15
iza0730様
>動物園に虎がウジャウジャいたことだけは鮮明に覚えておりますが・・・・。3歳半のことをご記憶とは、よぼと強烈な印象が残ったのでしょうね。私も想像してしまいました。貴重なお話をありがとうございます。
2007/09/06 11:19
ever様
敗戦責任…。これは難しいですね。開戦責任を論じるのと違って、どうやったら勝てていたのかというと悩ましいものがあります。軍官僚の責任は当然あるにしても、戦争遂行という与えられた仕事を行ったその一人ひとりに何を求め、何を追及するのか。考えさせられます。
2007/09/06 11:21
yy10000様
こんにちは。Y紙は平衡感覚を失っているような感じです。おそらくWさんがはりきってはた迷惑な指示を出しまくっているのではないでしょうか。他紙のことですし、よく分かりませんが。
2007/09/06 11:35
kobutatu様
瀬島氏が何も語らなかったというのは、そういう印象操作が行われただけで、必ずしも事実ではないと思います。私も、瀬島氏が知っていることのすべてを話したかといわれると分かりませんが、1993年ごろから、新聞、テレビ、自らの著作を通じ、いろいろと説明もしています。一例としてあげれば、《シベリア抑留“密約説”は虚構 伊藤忠商事特別顧問・瀬島龍三
[ 1993年12月01日
東京朝刊
社会面 ]
四十八年前の日ソ停戦交渉でシベリア抑留につながる日本軍将兵の労務提供の密約が交わされたとする“密約説”に対し、関東軍参謀として同交渉に立ち会った瀬島龍三氏は自身の見解を本紙に寄せた。
第二次大戦後(日本の降伏後)、約六十万人の日本軍人、軍属、民間人がソ連領シベリアなどに連行され、強制労働に従事させられたことは近世人類史上にないソ連の暴挙であり、人道上、国際法上、許し得ないことであった。このシベリア抑留をめぐって、強制労働につながる労務提供、あるいは役務賠償の密約が関東軍とソ連極東軍の間で交わされたのではないか、という“密約説”、“密約推定説”が一部で伝えられ独り歩きしているが、いずれも全く根拠のない虚構であり、虚説である。特に、ためにする憶測、うわさは歴史に対する冒とくでもある。ソ連の暴挙によってあのシベリアの凍土に果てていった約六万人の戦友のためにも、私が知り得る範囲で史実を明確にしておきたい。(後略)》といった投稿をされたこともあります。コメント欄の1000文字制限のため、記事全文を掲載できないのですが…。
2007/09/06 11:39
viwa様
はじめまして。そうした韓国での活躍の一端も、瀬島氏は「幾山河」の中に自ら書いています。朴、全、盧(泰愚)の各大統領とは親しかったようです。盧氏が瀬島氏の前で、カラオケで美空ひばりの歌を歌うシーンも出てきます。そのドラマ自体は観ていないので、史実とあっているかどうかは分かりませんが。
2007/09/06 11:41
ウルリケ マインホフ様
「幾山河」について、歴史学者や一緒に抑留された旧軍人たちが、内容は嘘だとか間違っているだとか批判したという話は聞いたことがありません。きっと、 ウルリケ マインホフ様がお知りになりたいこともいっぱい書いてあると思いますよ。
2007/09/06 11:48
hana様
確かに60万人連行、6万人死亡というのは、確定したものではありませんし、ソ連側資料に100万人という数字も見られます(強制連行数を水増しして手柄誇りしたいのかも)が、だいたい60万人説が定着しているようで、そんなに間違った数字ではないと思います。一度、漫画のゴルゴ13を読んでいて、シベリア抑留について「6万人連行、6000人死亡」とヒト桁間違った記述があったので、編集部に指摘したことがあります。
2007/09/06 11:51
someone様
ご指摘ありがとうございます。早速訂正しておきました。私も老眼が入ってきたのか近視が進んだのか、今使っているパソコンは文字が小さくて見にくく、つい見逃してしまいました。…私は政治家でも何でも、理由もなく偉そうにしている人が嫌いです。
2007/09/06 12:18
記者様のおっしゃっている事は、実は、「毛沢東」の真実について知りたければ、「毛語録」を読めと言っているに等しいのですが、騙されたと思って読んでみる事にします。
お疲れのことでしょう、ご返信は要りません。
2007/09/06 13:03
To 阿比留瑠比さん
> 確かに60万人連行、6万人死亡というのは、確定したものではありませんし、ソ連側資料に100万人という数字も見られます(強制連行数を水増しして手柄誇りしたいのかも)が、だいたい60万人説が定着しているようで、そんなに間違った数字ではないと思います。
連行された人数60万人はそうかなあ、と思えるのですが、犠牲者はもっと多かったのではないかとちょっと疑っています。死亡率10%は一般の捕虜収容所に比べそれほど高くはないはずで、あの厳しい自然と過酷な取り扱いを考えると、そんなもんじゃないだろうと思ってしまうのです。
朝鮮北部で事業をしていた私の叔父は、終戦間際に現地召集を受け、その後消息不明です。恐らくソ連に連れて行かれ、そこで亡くなったと思われますが全くわかりません。あの頃にはそのような話が数多くあったのでしょうね。
2007/09/06 14:28
再度お邪魔します。
>私も老眼が入ってきたのか近視が進んだのか、今使っているパソコンは文字が小さくて見にくく…
モロに老眼の私の視力ではこのブログのボリュームに追い付かなくショボショボの涙目を堪えて読んでおりましたが、エキスプローラのページ拡大機能によって125%(大島信三さんのブログのフォントサイズぐらい)に拡大して対処しております。皆様のコメントも必然的に拡大するため目への負担がかなり楽になります。
私の場合それよりも眼鏡の度を合わせる方が先決と気が付きましたので早速…。
2007/09/06 14:41
2007/09/06 14:45
To 阿比留瑠比さん
>kobutatu様
> 瀬島氏が何も語らなかったというのは
言い過ぎでした。
ただ、事情を知るものとして、語るべきなのに、語り尽くしていないことがあるのでないかと思うのですよ。
それはそれとして。
IZA β 版の「安倍政権考」、拝見しました。
野党の参議院議員会長があのような方、というのは日本国民として恥ずかしいです。小沢の領収書公開というのも、まったくもって、見せましたよというパフォーマンスだったのですね。
話は何日か前のエントリに戻るようですが、「戦後レジーム派」というのは、ふつうにいう左翼、右翼、民族派、保守主義などの政治思想の別では割り切れないもののように思います。どれだけ、戦後体制から恩恵を受けてきたかによるわけで、マスコミでも、Y売新聞などは、「戦後レジーム派」が主流のようにみえます。S経新聞はどうなのでしょう。「戦後レジーム派」、「戦後脱却派」、両者がいるように見えますが、実際はどうなのでしょう?
いまとなっては、「戦後レジーム派」の政治家と公務員とが連携して、安倍政権を潰そうとしているのは、はっきり目に見えるようになりました。昨年の政権発足の頃からおそらくそうだったので、近いうちに、国民の多くがそれに気づくことになろうかと思います。
そのとき、マスコミは、いままでのようなワンサイドな報道を続けることができるのか? 面白いところです。
「戦後レジーム派」などといっても、本当のところは、戦前からの統制経済を受け継いでいるわけですよ。だから、安倍政権のやろうとしていることは、(貫徹できるなら)ほんとうに大きな改革なのだとおもいます。
ささいなことには、僕は目をつぶります。
いま大事なのは、自分の味方と敵とをちゃんと見極めることだ思います。
2007/09/06 14:47
阿比留さん
こんにちわ。
瀬島さんの記事をありがとうございます。
阿比留さんの記事は、世の中であまり脚光を浴びないところで、
地道にがんばっている方や末端の国民があまり知らないことを
やさしい目線で伝えてくれるので、いつも共感しています。
瀬島さんをわたしは知りませんでしたが、
人物として、すごく魅力のある方なのだということと、
数々の試練を乗り越えてこられた運命に非常に惹かれるものがありました。
早速、幾山河を書店に探しに行ったのですが、
あいにく見つけられませんでした。
たぶんこれから、特集的な書棚が組まれるのでしょうね。
話は変わりますが、安部政権が何かと危ぶまれていることに
阿比留さんもこころを痛めておられると思います。
何とか、この状況を打破して、安倍さんの政治を貫ける環境を作れない物でしょうか。
昨日は、新党日本の田中氏が小沢さんと連立を組んだとの記事を見まして、
選挙前には、田中氏に対してちょっとは、ましなことをいうなと思っていたのですが、自分が質問をするチャンスを得られるからと、
小沢氏に付くというあたりに、がっかりしました。
なんとかしたい思いでいっぱいですが、私にはどうにもなりません。
ただただ応援するのみです。
2007/09/06 14:47
hippokampos様
>あの頃にはそのような話が数多くあったのでしょうね。 …シベリア抑留にしても、東京大空襲にしても、被害者総数というのは、なかなか実際には分からないものかもしれませんね。
2007/09/06 15:03
To staroさん
はじめまして。
以前から阿比留さんのブログでご意見を拝見していまして、
大変気になって、コメントさせていただきます。
staroさんの発言についてです。
とても理にかなったいいことをおっしゃっていたり、
中には、ちょっと反発したくなるようなご意見だったり、
存在感がすごいなと感じていました。
ただ、せっかくいいことをおっしゃっておられていても、
罵倒する言葉を出されるために、とても損だと思います。
とても、いいにくいのですが、気分が悪くなる時もあります。
意見のあわない人もたくさんいるわけで、
その中で、自分の観点の間違いや狭さに気づいたり、
学んだりする場として、活用させていただいている私などからすると、
ものの言い方ひとつで内容を受け取らずに批判的にしか判断されないというのは、とてももったいないことだと思います。
他の方も反論したいことがあっても罵倒することはせずに、
冷静に議論しあうところが阿比留さんのブログの魅力のように感じています。
罵倒して押さえつけたら考えが変わると思いますか?
間違いに気づくことが考えを変える一歩でしょう。
意見の違う方を罵倒せずに、冷静に意見を交わすことで、
staroさんの魅力なり、意見の重要性が伝わるはずなのですが、
それが生かされていなくて、非常に残念に思います。
その点を改善お願いできませんか?
阿比留さん、差し出がましくて申し訳ありませんでした。
2007/09/06 15:23
crea77sさん
私は最初はきちんと質問をして真意を尋ねているつもりです
しかし、質問には答えず、執拗に同じ内容を繰り返しては
政治活動的書き込みをする人に対しては、こちらもそういう思想の方に
ふさわしい書き方をしているつもりです
私は感情的になって書いたりはしていません
罵倒するときは笑ってますよ
私はここで好かれようとか、自身の意見に賛同してもらおうとかは
思いません
では、ひとつお尋ねしましょう
口汚く罵倒する行為と、悪質な政治活動のどちらが卑怯で、批判される事
なのですか?
ウルリケが最後に「読んでみましょう」と書いたのを見て、奴が
見込みあるとでも思われたのですか?
それなら以前から奴は同じような事をやってますが?
いつも頭ごなしに保守系の意見や人物を批判して、根拠を聞いても
一切答えない「荒らし」に何の遠慮がいるのですか?
ここは阿比留様のブログなので、私の専横な書き込みは慎めと言われるなら
今後、一切の書き込みはやめましょう
で、そこまでのモラルを他人に忠告し、求めるあなたは過去から一体
どの程度の意見を書いてきたのか?
是非、あなたの政治や経済についての意見を伺いたい
如何ですか?
2007/09/06 15:51
2007/09/06 15:55
To staroさん
お返事ありがとうございます。
感情的ではない旨わかりました。
荒らしに対して遠慮はいらないというのもそうかもしれません。
相手がどうであろうと、罵倒する必要もないかと思われます。
罵倒しないでほしい、ということについて、この1点のみのお願いをしたまでなのです。
罵倒する表現から、最初はstaroさんのことも、荒らしのように思っていました。
でも、よく読むとどうなんだろうと感じることもあり、
何だかstaroさんの発言の本質がわからないときもありました。
荒らしと間違われる可能性が高いのが実際のところかもしれません。
実際、staroさんとsatoさんと間違ったことも数度あり、まあ、はっきり言えば、satoさんと見分けがつきにくいし、困ったりするわけなんです。(笑)
まあ、そんなわけなのです。
意見をどのくらい書き込んだかとか、政治経済の意見を伺うとかそう挑戦的になる必要もないと思うのです。
staroさんの見識の高さは承知してる方も多いと思いますから・・・
今更ここでそんなことを議論する余地もないでしょうし、
一切の書き込みをやめるとか、そういう極端なことも必要ないと思うのです。
荒らしはほっとけばいいですよ。
表現に気をつけていただけないかなっていうことだけです。
それで、読んでる方を不快にさせない発言は政治思想以前の問題ではないでしょうか。
ネチケットを守ることと、政治思想とは関係ないのですから。
私に、ご機嫌を損ねるような発言がありましたらお詫びいたします。
どうか、よろしくご理解ください。
2007/09/06 16:31
crea77sさん
>sato
ではなく、soto だと思いますよ
私も私の書き込みかと思った事があります
>荒らしはほっとけばいいですよ。
Yahooなり、それらの掲示板なら確かにそうですね
しかし政治活動を目的にした、ウルリケや眠れぬシーサー、sotoは
放置するのはどうかと思いますよ
ウルリケは古森様のところでは、もっと悪質に左翼の著書を転載したり
執拗に絡んでは荒らしています
眠れぬシーサーと同じ組織と思っていいでしょう
ご指摘の私の言動は、私自身も忠告があっことを受け止めようとは
思います
しかし、社会主義者を甘く見ない方がいいと思いますよ
特アに見られる奴らの本質は「手段を選ばない」が原則ですよ
日本人的モラルで付き合ってきた結果が、竹島であり、化学兵器遺棄費用
負担であり、慰安婦問題だと思います
2007/09/06 16:35
kobutatu様
記事を読んでくださり、ありがとうございます。>S経新聞はどうなのでしょう。「戦後レジーム派」、「戦後脱却派」、両者がいるように見えますが、実際はどうなのでしょう?…そうずばっと聞かれると困りますね(笑)。おっしゃる通り、混在しているのかもしれません。>安倍政権のやろうとしていることは、(貫徹できるなら)ほんとうに大きな改革なのだとおもいます。…本当に大きな意義があると思うのですが、今はとても苦しい時期ですね。今後、どうなっていくのか。
2007/09/06 17:18
ジニ係数上昇 社会保障の再構築を迫っている(9月6日付・読売社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070905ig91.htm
またエントリー外になるが、格差について私が主張している一部裏付けを
紹介したいと思う
所得格差を是正する再配分は実は高齢者向け社会保障に回っていたという話
マスコミが煽りに煽る格差などは無い
断言出来るのだ
マスコミが言わない格差が真の格差問題であり、派遣労働者問題もこの社説
で指摘されている
派遣労働者に対する退職金積み立てを義務付けるべき
また問題の農政は、池田さんの論説が適切だろう
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/494a8e58b04842880c1862a561b3a400
安倍政権は小手先の地方対策や農業対策をすると、莫大な政府負担をする
事になり、本来は企業が負担、淘汰されるべきものを政府が被る事になる
派遣会社の不当な利益を見るように、あの業種や関連企業を壊滅すべき
労働者の地賃金をピンハネし、更に、意味不明の代金を給料から天引きする
ような業界を放置してはならない
社会的弱者から搾取し、踏み倒して金儲けしているのは派遣会社である
2007/09/06 17:18
阿比留さん
>先月、会社から新しいパソコンを貸与されたのですが、画面が以前より小さいのか、字がよけい小さくなってしまいました。困ったものです。
私も困っていたのですが、右下の○に+100▼をクリックしたら拡大縮小ができることを「発見」しました。それはそれで面倒ではありますが。
ノートパソコンをやめて卓上型にとも考えていますが、そうするとこんどは置き場所が…。
2007/09/06 17:46
阿比留様いつも御苦労様です。小沢民主党はテロ特措法の延長に反対して、自衛隊を本気で引き上げさせるつもりなのでしょうか?多くの国々が参加している作戦に重大な支障をきたし、米国との関係がおかしくなりますよね。
しかも来年は、北海道洞爺湖サミットが開かれるわけですが、テロには屈しないなんて大きな顔していえなくなり恥ずかしい立場になるでしょう。安倍政権を追い込むために国益を無視して、小沢さんは本当に大バカですよ。
2007/09/06 18:34
crea77s様
こんばんは。「幾山河」は一時はベストセラーになったのですが、出版されて10年以上経ちますから、大きな書店にしかないかもしれません。>何とか、この状況を打破して、安倍さんの政治を貫ける環境を作れない物でしょうか。…そうですね。何とかしたいのはやまやまですが、今は野党と妥協しながら地味でも一歩一歩とれるものをとっておくしかない時期だと思います。この先、風向きは変わるかもしれませんが、今はまだ…。それほど、参院選ですえられたお灸による大やけどはひどかったと。
2007/09/06 19:16
阿比留様
「60万人抑留、6万人死亡」というこの数字の元出は、やはり判らないのでしょうか。根拠なしに、この数字だけが一人歩きして定説にまで成ったるように見えます。
この数字も東中野教授のように元出へ遡るとソ連のプロパガンダかもしれませんね。
マッカーサー記念館には、昭和21年(1946年)夏に、111万1650人の日本人捕虜がソ連に居たという記録が有るようです。
他に、37万人、34万人死亡という研究書が米国人などに依って書かれてるのに、60万人の定説となる研究書がみあたりません。私の捜し方がわるいのかもしれませんが。
現在この件を研究しているのは、アルハンゲリスキーの本を翻訳した、瀧澤一郎、江戸川大学教授だけのようです。まだタブーなのでしょうか。
2007/09/06 19:18
staro様
>補助金制度が、もう普通の人には理解できないぐらい複雑化しているため、役所にもチェックできないのだ。…こういう例が日本中いたるところに張りめぐらされているようですね。
2007/09/06 19:41
企業年金の不払い発覚しました。
舛添要一厚生労働大臣激怒してます。
サラリーマンにとって老後の資金は
年金がほとんどなのでこれは痛い話です。
集団的自衛権云々どころか国内問題の解決が
最重要課題になってます。
消費税の値上げもされかれませんね。
財源がありませんから。
文責 森浩
2007/09/06 19:56
uma3695様
こんばんは。米中枢同時テロで、日本人24人も含む多国籍の人間が亡くなっていることは、忘れてはいけないことだと思います。小沢氏には、私は以前から何も期待していません。
2007/09/06 20:31
こんにちは。
瀬島さんはシベリア抑留中、「孤独」だったことが一番つらかった、と著書で読んだことがあります。そのときよく、真宗のお経をよくとなへてをられたやうです。梅原猛さんがそれを訊いて「信心深いことで(長年の抑留生活を)辛坊できたんですね」といふやうなことを言ってをられたやうにおもひます。瀬島さんが戦後そして今も、周囲から「語るべきこと」を「語らず」として批判されもしますが、おもへば、ほとけさまのおしへを忠実におまもりになられたのかなと、ふとかんがへた次第です。南無阿弥陀仏。
2007/09/06 21:11
阿比留さん
試し打ちから、二度目の初めましてです。
最初の書き込みは、このブログに対する自分なりの感想を述べさせて頂きたく、投稿しょうとしました時、ちょうど、阿比留さんの瀬島氏に関する熱い惜別の記事が出ましたので、ブログの流れを断ち切っては申し訳ないと、控えていました。しかし、流れが、少し横にずれて来ましたので、今、ここに、2,3日前に書いて、控えていた感想文をそのまま送らせて頂きます。
「私が阿比留さんのブログに行き着いたのは、ニュー速か何かの中で、このブログが紹介されていたのを、何気なくクリックしたのが始まりでした。今までそんな形で開けてみたブログは、たいていその時限りで、再び見る事はなかったのですが、このブログは面白くなってこの何か月が毎日読ませて頂いていました。
阿比留さんの記事は、政治の歴史や背景、現在の政界の動きや、その裏側などを知らせて下さるだけでなく、時に社会派の推理小説を読んでいるようなスリルがあって興味が尽きませんでした。また、ここに集う方々の個性も面白いと思います。我が国の行く末を案じて切実な書き込みをされる方々や、また、熱い義憤ゆえ、時として徒労感に苦しまれる阿比留さんを励ます方々。・・反対意見の方もいろいろです。真面目に反対意見を書く方もありますが、無礼口調の書き込みをする方々もいます。(続く)
2007/09/06 21:13
(続き)それにしてもSTAROさん・・・おっかないですねえ。・・左系で?な感じの書き込みや、エラそうな口調の書き込みを見つけると、その豊富な知識で罵倒の限りをつくし、コテンパにして叩き出されます・・あんまりおっかなくて、つい笑ってしまいます。そのstaroさんが阿比留さんには常に紳士的なところが、また可笑しい。でももっと笑えるのは、叩き出されて、自尊心までズタズタになったはずの人が、懲りもせず、ゾンビのように復活してきて、また同じような態度で同じような事を書く。・・そしてまた サンドバックにされ・・・(笑)。何だかんだと、考えは反対であっても、ここに常駐している人たちはみんな、阿比留さんの事を気に入っているのでしょう。
このブログは、阿比留さんと一緒に、日本の政治を熱く語り合う人々の集いの場であると同時に、観点を変えて、読み物として読んでも、充分笑える面白ロブログでもあります。私もこれからは、一歩中に入って、応援席の端っこに座り、時には小さくヤジなど飛ばしながら見物させて頂こうと思います。長くなってすみません。どうぞよろしくお願い致します。」
以上が、控えていた下手くそな挨拶文です。よろしくお願い致します。
2007/09/06 21:16
ところでcrea77sさん、(もう解決ずみのようではありますが・・)
おっしゃることは理解できますが、staroさんは、分かっていて、ある効果狙いでオーバーアクションをしておられるのではないでしょうか。staroさんの罵倒は半端ではなく、超過激で、最後はもう、笑うしかなくなってしまいます。だから、言われた方もどこ吹く風と平気でまた、繰り返し登場されるのではないかと思います。私は、どちらもタフだなあと思ってしまいます。もちろん、中には、crea77s さんのように、閉口してしまわれる方だっておられるとは思いますが・・。ただ、ここ何か月か外から見ていた私は、自分のブログに来てくれた人には、どんな事を書かれても、喧嘩腰で反論しにくい阿比留さんにとっては、staroさんは、時に弁慶のような、役割をも果たしておられるのかなと思ったりもしました。どちらにしても、真面目で上品なだけのブログより、躍動感があって、読み物としては断然面白いと感じてしまいます。・・みんなが真剣に語りあっておられるところ、いかにも野次馬的感想で申し訳ありません。ちょっと感じたまでを・・。
2007/09/06 21:33
阿比留様
>瀬島氏が何も語らなかったというのは、そういう印象操作が行われただけで、必ずしも事実ではないと思います。
瀬島氏は語った事は語ったのでしょうが、瀬島氏の不幸はその語った大部分が「自己弁護」と捉えられてしまった、と言う事でしょう。当時の軍部官僚の中枢の中枢にいた者はやはり国民が持つ疑問に答えるべく早期に「説明責任」を果たす必要がありました。回顧録では言ってしまえば一方的な主張で何とでも書けますし。それに1996年という当時の瀬島氏の事を証言できた人がほぼ亡くなってからの回顧録発表では、当然ながら反論や間違いを指摘できる人も少ないですよ。もっと早くに世に出して、当時の関係者や研究者の評価を受けるべきでした。
言葉は悪いが幸か不幸か瀬島氏は長く生き過ぎました。
あと数々の慰霊・追悼事業に幅広く取り組んだとの事ですが、肝心の靖国神社には参拝に行っていたのでしょうか?ちょっと調べましたが分かりませんでした。どういう心境で彼は参拝していたのか(又は参拝しなかったのか)に興味があります。
2007/09/06 23:30
To qendo18kaiさん
>陛下は「それでも良いから電波を出せ」のところから、涙があふれて読み続け出来なくなりました。
>
>民主主義では、陛下のようなリーダーを選ぶことも、育てることも出来ないと頭に浮かびました。日本人に生まれた感激を知らないサヨクの人たちには、やはり分からないでしょう。
なぜ、貴方は涙があふれたのでしょう?それは陛下が幽顕の間におられることを直観されたからです。祭祀を司るお立場とはそうしたものと確信します。だから、終戦の詔書で「五内為に裂く」という表現が出てきたのでしょう。今上天皇も同じです。
日本の国柄とはそうした思いの共有する人々によって継承されてきたものと思っております。貴方のようなお方がおられる限り、死者はこの列島に生きているのです。ありがとうございました。
2007/09/06 23:35
arigatoさん
元かなり左の私には、リベラルと反日の区別がつくのです
わははは
先程、格差の問題を書きましたが、この手のは実は
得意なんですね
それからブログとか、掲示板はみんなが品行方正だと飽きるんですよ
まあ、一般論ですが
それから何も意図はありませんよ
拉致問題に当初から真剣に取り組む産経が好きなだけです
是非、全員救出まで報道して欲しいですね
ウルリケは、また、古森さんのところで根拠ないアラシをやってますね
2007/09/07 01:41
産経でしか読めない記事を見ると、ほっとしますね。
年増のお姫さまは「マスコミの期待を裏切らないよう、性錯面で頑張る」と述べたという。
訂正、どうもパソコンが不調ですな…。
関係者によると、小沢氏は「マスコミに変に取り上げられないように」と忠告。姫井氏は「国民の期待を裏切らないように政策面で頑張る。政権交代を目指す小沢代表の意気込みをしっかり応援したい」と述べたという。
2007/09/07 06:28
To arigatoさん
>staroさんは、分かっていて、ある効果狙いでオーバーアクションをしておられるのではないでしょうか。
そうなんだろうなとは、思っているんですが、過激な発言によって、真意がつかみにくいところもあり、
実際staroさんの意見は罵倒無しの方が本質がはっきりしていて、
わかりやすいですし、staroさんのよさが生きると思い、
生意気だとは思ったのですが、お願いさせていただきました。
それに、実際、staroさんもご自身とsotoさんと間違えるときもあるというほどですし、
実際、staroさんとsotoさんのやり取りは、
実にどちらがどちらかわかりにくく、ちんぷんかんぷんになって、
読み直すことが多いですしそれも面倒というか・・・。
arigatoさんも仰るように笑える場合もあるのですが、
まあ、具合の悪い日や天候の悪い日などは、実際しんどい時もあるわけなのです。
お互いに阿比留さんにいい記事を気持ちよく書いて戴ける環境も
ここに集まるわたしたちのできる応援の形かなとも思いまして差し出がましいことをしました。
いずれにしても、いい国づくりを応援する立場として、
阿比留さんのお陰で勉強になるし、居心地がいいのでこれからもよろしくお願いします。
2007/09/07 08:01
軍人として、ビジネスマンとして、両方で一流の活躍をなさったのは凄いことだと思います。そういう人間を輩出する教育システムからはまだ学ぶことは多いですね。
時代や社会が変わろうと、真の教育の成果は死なないのでしょうね。偏差値が一上がった下がったじゃなくて。
そういう大人物がまたひとり逝ってしまわれました。合掌
2007/09/07 10:40
阿比留さん、おはようございます。
このエントリーでの話題は出尽くしたようですが、遅ればせの私のコメントです。
伊藤忠会長時代の話しだと思いますが、私の知人(将来を有望視されていた会社の部下)が瀬島さんから「中々頼りになるので自由党の小沢氏を紹介しようか?」と言われたそうです。
只、知人は「(小沢氏は裏表がありそうなので)いやー結構です」と答えた由。
瀬島さんは、当然自民党の重鎮をご存知であったでしょうが、自由党盛んな時でしたから、小沢へ肩入れしたのでしょう。
切れ者というのは認めますが、何か影がある方でしたねー。
それにつけても、小沢のお悔やみ文の何と味気ないこと。この人は自民党田中派で自民の王道を歩いた人ですが、実は相当な社会主義者であり、アナーキストなんではないかと推察します。こんな民主党には政権を摂らせる訳には行きません。
2007/09/07 11:56
阿比留様
瀬島氏の経歴を見て初めて気づいたのは、伊藤忠に入社したのは47歳位。
当時のサラリーマンの感覚でいうと、もう終わりがみえる年齢。
しかもその前、11年も世間と隔絶した生活。
今までの輝かしい学校の成績や経歴がマイナスにしかならない当時、あえて、まったく異分野の「大阪」の「民間」企業に入り、「再チャレンジ」に見事に成功したというだけでも、人物の偉大さを感じさせます。
陳腐な観念的図式でしかモノを考えられない評論家などには理解できない人たと思います。
2007/09/07 12:32
hana様
繰り返しお尋ねでしたので、現代史家の秦郁彦氏に聞いてみました。秦氏によると、60万人連行、6万人死亡説は、「厚生省の積み上げデータによるもので、おおまかにいうと公式数字と言っていい。シベリア抑留者でこれに異議を唱える人はいない。ただ、最近それ以外の人からもうちょっとたくさん死んでいるという話が出てきて、ロシア側にもそれを言っている人がいるので話が合わさっている。それはなぜかというと、60万人の中には労働で役に立たず、送り返された人がいて、また、その穴埋めに改めて連れて行かれた強壮な人たちもいた。また、戦争末期の満州で動員された居留民の志望者も混じっているなどの理由がある。60万人連行、6万人死亡説は、断固としてこうだと主張するほどしっかりしたものではないが、だいたいそういうところうだろう」ということでした。
2007/09/07 14:52
char様
「幾山河」の中で次のような場面が出てきます。
《取り調べの期間中は、昼間、独房の中で鉄の寝台に腰かけ、対応策を練った。むしろ、一週間も十日も取り調べがないときの方が辛かった。人間にとって、話し相手のいない「孤独」こそ、「飢え」にもまさる苦痛であると実感した。監視つきで散歩に出たとき、こっそり小さな石片を拾い、それで独房の壁の隅に看守の目を盗んで仏様を薄くかいた。その仏様の前で、幼いときから覚えたお念仏とお経を唱え、心を静めた。そんな夜は、よく亡き母が夢枕に現れ、「龍ちゃん、辛抱、辛抱」と励ましてくれた》
2007/09/07 15:14
arigato様
こんにちは。私のブログに関心を持っていただき、ありがとうございます。このブログは本編に当たるエントリの内容が薄くても、コメント欄でさまざまな方々がいろいろなことを論じ、教えてくれるので、私自身がいつも勉強させてもらっています。これからもよろしくお願いします。
2007/09/07 15:17
ever様
例えば、大東亜戦争全戦没者慰霊団協議会では三笠宮さまとともに、靖国神社に参拝していました。…私は、瀬島氏が語らなかったことも当然、自分のためか他人をおもんぱかってかあるとは思います。ただ、世間で言われているほど沈黙していたわけではないという感じを持っています。
2007/09/07 15:19
2007/09/07 15:23
s-tatsu様
やはり、昔と今とでは教育が全く違うと思います。以前も書いたことですが、若くして散華した特攻隊員たちの遺書を読むと、文章も言葉遣いも、今の若者(中年である私も含め)には、とても書けないものだと感じ、時代背景もありますが教育の差を強く感じました。
2007/09/07 16:05
tropicasso様
政界の交流は広く深かったですから、そのときの話題に会わせて小沢氏を紹介しようと言ったのでしょうか?ちょっと分かりません。私は小沢氏には実は主義も思想もないのではないかという疑いを持っています。
2007/09/07 16:10
economist様
ええ、いい悪いじゃなく、とてつもなく数奇な運命を背負って生まれ、仕事をした人なのだろうなと思います。私なんかは、ただ平々凡々と日々を楽して暮らしたい方ですが…。
2007/09/07 16:11
少しそれるが、以前便衣兵について書いた
便衣兵は日清戦争から登場する
現在の中国の本当の中身を日本人の多くは知らない
現在の中国も約56の民族で構成されている共和国である
言語も文化も全く違う民族である
中国4000年の歴史などはウソっぱちで、せいぜい2000年である
また現在の共産党支配は漢族であり、清王朝は満州族が建国、支配した
匈奴、鮮卑、契丹他全く言語も文化も違う民族が政権交代していた
従って、日本のような政権交代とは全く違う、異民族の交代だった
ここらまでは小林よしのりも詳細に漫画で紹介していると思う
欧米列強から幕末に結ばされた不平等条約の改定は、日本が「法治国家」で
あることが絶対条件とされ、最低の武力も当然持っていなければ
ならなかった
富国強兵とは不平等条約改定の為の第一の目的手段だった
しかし法治国家を成し遂げた日本に不平等条約改定に応じたのは英国だけ
であった
それも日露戦争でロシアを牽制したい、国力を弱めたい英国の妥協だった
前述のようにおおよそ国家とか法治主義とかとは無縁の多民族の集団の
中国(清王朝)も日清戦争時に国際法など守るわけがない
当然、日清戦争後の満州でも同じような便衣兵やそれらと区別さえ
出来ないテロ行為に移民していた日本人は頻繁に虐殺されていた
長くなるので当時の満州での中国人(多民族テロ隊)の残虐ぶりを見ていた
欧米列強の駐在員の本国への報告は割愛するが、たくさん証拠が残っている
戦争の善悪ではなく、事実をまず知り、自身で調べ、理解する事がまずは
第一のように思う
2007/09/07 17:44
To staroさん
はじめまして。
変幻自在で適切なご意見、いつも楽しみに読ませてもらっています。
>戦争の善悪ではなく、事実をまず知り、自身で調べ、理解する事がまずは
第一のように思う
“陽、山の端に隠れる歳”になってそのことに漸く気づき、幕末から昭和初期までの外国人の日本滞在記や、明治から東京裁判までの“社会科教科書”が教えなかった日本の歴史を勉強し直しております。
陽暮れて道遠しではありますが。
有り難うございます。
2007/09/07 17:48
To 阿比留瑠比さん
> 政界の交流は広く深かったですから、そのときの話題に会わせて小沢氏を紹介しようと言ったのでしょうか?ちょっと分かりません。
=> 恐らく、伊藤忠会長として、部下が小沢氏と知己を得るのが商売上も個人的にも有意義と思われたのでしょう。それ程、小沢氏は存在感がありましたからね。
> 私は小沢氏には実は主義も思想もないのではないかという疑いを持っています。
=> 私も同感です。生まれた年代からして、実は自民党居にいた時でさえ隠していたのか反体制・反戦・社会主義的であったでしょうし、自分と意見を同じくするもの拒まずとは政治家として無節操という意味でアナーキーと申し上げました。
政治家でもトップに上り詰める人の器とは若い時代からの歴史や古典の素養・教養そのもでしょう。小沢氏には政治屋としての強引さ、一癖、礼儀知らず、田舎(農村)偏重・都会蔑視が見て取れます。つまり、地方議会レベルであって、全国区で、ましてや世界区で渡り合える政治家ではありませんね。
2007/09/07 18:12
2007/09/07 18:14
tropicasso様
ふだんはこちらが挨拶しても無視するような人なのに、選挙が近づくと愛想がよくなり、後ろから肩をもんできたりするので、露骨というか何というか…。
2007/09/07 18:31
ぱんたかさん
初めまして、こんにちは
かくいう私もコツコツ調べたりし始めたのはここ4、5年くらい前からです
くだらない、幼稚だとか決めつけず、小林よしのり氏や山野車輪氏の本も
全て読みました(笑
左や反日書籍は過去にたくさん読みすぎて、頭にハエが集り始めましたので
最近は遠慮しています(笑
割愛しました満州での日本人や日本軍に対する非道は、さすがの列強の
者たちも同情して「日本軍の行動やむなし」と報告していますね
そういった手紙や日記が東京裁判では全て無視されています
だから日本が悪くないとも思いません
善悪を決める、探す為に歴史を探索すると結局はイデオロギーに影響され
何のために探索したのかがわからなくなってしまいますよね
「日本は悪い」という前提で調べると悪かった証拠だけ見るようになります
反対に「当然の報復」と決めつけると全てが正しい行為になりますよね
2007/09/07 23:35
築地本願寺の僧侶です。
先日の通夜、密葬で読経させていただきました。
笑顔の遺影を前にして切ない思いが最後まで抜けず、もう少し早くお会いしたかったと残念でなりません。
2007/09/08 06:10
阿比留様
厚生省が積み上げた数字であるとのこと。出典や根拠が不明な数字では、なかったのですね。秦教授にまで訊いてくださりありがとうございます。この様な情報は、新聞社内のアーカイブ等からPCを使えば直ぐ解ると簡単に考え安易に質問してしまいました。お時間とお手間を取らせてしまい申し訳ありませんでした。本当にごめんなさい。
2007/09/08 07:40
To staroさん
お早うございます。ご丁寧なお返事に恐縮しております。
>善悪を決める、探す為に歴史を探索すると結局はイデオロギーに影響され
何のために探索したのかがわからなくなってしまいますよね
はい。出来る限りニュートラルな気持ちで事実を知りたいと努めております。
ただ・・・、抜き難い気持ちとして白人には有色人種劣等意識があり、中国人に中華思想があるように、私にも日本人としての“偏向”はあるかも知れないなあ、とは思っております。
今後とも宜しくお願い致します。
2007/09/08 08:19
hana様
いえ、何かあったらまた質問してください。ただ、比較的に「意見」を述べるのは簡単なのですが、「根拠」を問われると、調べるのに時間がかかる場合があるので。こちらこそ、会社のデータシステムなどが整っていないのをばらすようで恥ずかしいのですが。
2007/09/08 18:01
浜田 幸一『新版 日本をダメにした九人の政治家』講談社プラスアルファ文庫P.137より
中曽根さんのブレーンの一人として知られ、臨調や民間活力導入(民活)でも知恵者として辣腕をふるった瀬島龍三(伊藤忠相談役)という男は、元関東軍の参謀として、諜報活動に当っていたというが、その実体は、ソ連の二重スパイであったという説がある。
終戦後、ソ連に残り、帰国したのは昭和三十一年(一九五六年)である。経歴では捕虜としてシベリアに抑留されたことになっているが、何万人もの日本人捕虜が強制労働によって死んでいった中で生き残って帰ってくるには、それなりの理由があったはずだ。
彼が、シベリアで何をしていたかを示す資料が、最近の自民党の調査によって明らかにされつつある。化けの皮がはがされるのも、時間の問題だろう。
しかも、シベリアで彼が教育した日本人は三、四千人にのぼると言われている。つまり、二重スパイとしての彼と同じ思考法をする数千の人たちが、日本中にばら撒かれ、あちこちの要職についているのだ。
新政権が誕生すると、バカの一つ覚えのようにワシントン詣でをするのが常だったが、中曽根さんが政権の座について初の海外訪問国として選んだのは、意外にも韓国だった。そして、訪韓の根回しをしたのが瀬島氏だった。
以上、引用。
ご冥福をお祈りします。
2007/09/08 21:07
behemoth様
シベリア抑留時代、いろいろあったとは思います。ソ連と前面対決した抑留者は少ないですから、融和的な言動をとったこともあったかもしれません。しかし、シベリア抑留時代に本当にスパイになって、日本でスパイ活動した人は、けっこう何人も知られていますね。その中で、瀬島氏だけがそれを明かす(ばらす)証言者もなしに、>シベリアで彼が教育した日本人は三、四千人にのぼると言われている。つまり、二重スパイとしての彼と同じ思考法をする数千の人たちが、日本中にばら撒かれ、あちこちの要職についているのだ。…こんなことができたとしたら、それもものすごい話ですね。ちょっとそこまでは信じられません。
2007/09/08 21:51
To 阿比留瑠比さん
>…こんなことができたとしたら、それもものすごい話ですね。ちょっとそこまでは信じられません。
浜幸、話は面白いのに、文章は酷いですね。
・二重スパイ説がある
・生きて帰っているから疑わしい
・化けの皮がはがされるのは時間の問題だろう
で、次の段落では一挙にスパイ認定して、彼の弟子スパイが数千人日本で活躍中、ということになってしまうのですから。
この本の改訂版は1995年発行で、12年経っているはずです。12年かかってはがされない化けの皮なら、そもそもそんな皮は存在しない、と思うのが自然でしょうね。
廣瀬さんのブログにも変な話が出ていましたのでつぶしてあります。ご覧下さい。
2007/09/08 23:55
hippokampos様
ソ連のスパイ云については、実際にスパイになり、戦後事件化した人もいるのですよね。共産党の志位氏のおじさんも有名です。草地貞吾元関東軍参謀のように、あらゆる拷問を受けても一切、ソ連の要求を拒否した偉大な人もいますが、ふつうは大なり小なり、迎合したり、面従腹背したりしたものだろうと思います。仕方ないようにも思えます。
2007/09/09 00:48
To 阿比留瑠比さん
なるほど、そうなのでしょうね。
ただ、保守派のなかにも瀬島氏に対する色々な見方があったのだろう、ということはいえるのではないでしょうか。まあ利害関係とか人間関係とかもあってのことでしょうが、それも含めて瀬島氏の様々な側面を持つ一人の人間としての生き方が見えてきたり、また謎めいていたりして、興味深いのではないでしょうか。
2007/09/09 08:39
2007/09/09 08:53
純粋な人ほど「転び」やすいようです。志位正二少佐はそれでしょう。
草地貞吾を知る方の悪口を目にしたことはありません。苛酷な状況下、節を曲げなかった人は英雄と言える人だと思います。しかしそんなことが出来た人はほんの一握りでしょう。あとは本人の力量に応じて自分の誠実さと現実との折り合いをつけていったのでしょうね。理不尽にも連行され、厳寒、空腹、恐怖、絶望の只中に置かれた人の気持ちを多少とも推察し、自分ならどうしたろう、と考える過程を経ずにはとやかく言えないと思います。飽食と安全の中に身をおき、平然とそういう人達を非難できる人に限って、いざその場になればごく安直に立場を変え「スターリン元帥万歳!ソ同盟万歳!」なんてやるのだと思います(笑)。
2007/09/09 08:56
hippokampos様
草地さんは「例外」的な人物だったからこそ、戦後も元部下や抑留時代を知る人たちから「草地さんは、天皇陛下の次に偉い」とまで言われたのでしょう。ご指摘の通りだと思います。
2007/09/09 09:51
To 阿比留瑠比さん
> 草地さんは「例外」的な人物だったからこそ、戦後も元部下や抑留時代を知る人たちから「草地さんは、天皇陛下の次に偉い」とまで言われたのでしょう。
阿比留さんは確か草地氏と何度か会っておられるのでしたね。羨ましい限りです。
ところで、31年前の今日、毛沢東が死んだのですね。私が朝日の購読を止めた日です。その経緯は8月25日、古森ブログに初めてお邪魔したときの書き込みに書いてあります。お暇があればご笑覧下さい。
2007/09/15 23:31
阿比留瑠比さま
はじめまして。私は「日本のよふけ」という番組で瀬島さんをはじめて知り、瀬島さんの話す言葉たちにいたく感動しまして、その後父の書庫に「幾山河」がありましたので、読みました。
そこですこし質問があります。
瀬島さんが重要なことは話さなかったとか、戦争責任や敗戦責任をしなかったと言っている方たちがいますが、その方たちのいう重要なこととは何のことなのでしょうか?なぜ、ソ連側の証人になったのか?ということなのでしょうか?
そして、追悼事業などもおおく携わっていたのに、なぜ、戦争責任を全うしていないと言われるのでしょう。とても悲しくなります。
心からご冥福をお祈りしたいです。
2007/09/16 00:32
hippokampos様
草地さんの奥様からは、今もときどき電話をいただきます、私のような若輩者が、草地氏や宮元氏、瀬島氏といった旧陸軍の実際を知る人たちと、たとえ内容は浅くとも生前に話を聞くことができたのは幸せでした。
2007/09/16 00:35
mayuyuri2000様
はじめまして、大本営参謀時代の作戦計画や、シベリア抑留時代のソ連との関係について、まだ十分に語っていないとの見方はあるようです。しかし、多くは何となく、世間で言われているイメージに沿って、個別の事案を吟味・検証することなく言っているようにも思えます。
2008/03/16 20:07
瀬島先生が、逝去された日私は、群馬県の安中市におりました。
その週の土曜日に5大紙の9月4日の夕刊と5日の朝刊を全てコピーしました。B4で21枚になっていました。それからひたすらそれを読み続け、10月中旬に、回想録「幾山河」が緊急増版されたことを知り、それからは、ひたすら「幾山河」を拝読しております。25年ほど前に不毛地帯を読んでから瀬島先生のことは、存じ上げておりましたが非常に魅力的な人という印象でした。
NHKアーカイブスで5年前に放映された「85歳の執念行革の顔土光敏夫」にコメンテータとして出ていたビデオは、もう1000回以上繰り返し見ています。尊敬する土光さんを影で支えた瀬島先生も本当に立派でした。
幾山河は、もう5ヶ月程毎日読み続けていますがそれでも、まだまだ魅力的な本です。
本当に、瀬島先生にとりつかれた様な現在です。
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by kakasai
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