本日2本目のエントリです。昨日の自民党人権問題調査会での主なやりとり(すいません、分量が多すぎて一部割愛しました)を紹介します。これを読むと、改めて人権擁護法案が無理筋の法案であることがよく分かると思います。イザの記者ブログには1万字の字数制限があり、解説・感想を加えるスペースがないので、気になった部分には色をつけておきました(敬称略)。
西田昌司:法務省は説明をされたが、われわれ一般国民が感じているのとずいぶんかけ離れたものだ。2月17日に
具体的な人権救済制度の現状と(の資料が)あるが、見てますと、家庭内、施設内、ストーカーとか、要するに個人個人の人の付き合い方の問題だ。その根源となるのは、まさに家庭をはじめとする道徳意識、規範意識の低下が一番大きな問題であって、法律がないからこういう問題が出てきたんじゃない。また法律で救済できるものではない。そもそも道徳によって、道徳教育によって救済しなければならない。今回、教育指導要領も改訂になってきて、道徳教育を充実させるという話が出ている。まさに、われわれはそちらの方に主軸を置いてやっていかなければならない。
この「人権」というも、何なのかということはまったく答えられていない。その中で強制権のあるこういう法律をつくることは、まさに国民の意識と乖離したものであるばかりではなく、逆におかしな国民の対立をつくってくるし、結局はモラルの低下を助長させることになってしまうのではないか。
稲田朋美:法務大臣もこの法案は白紙から検討するとおしゃっていた。今日の説明は17年の法案を基礎にしたものだと理解している。やはり私はこの法案が包括的な人権侵害ということを規制する法案が必要かどうかというところから議論をしていただきたい。そして会長が人権侵害された者の視点に立ってと言われたが、不当な申し立てをされた者の視点も考えていただきたい。私は政治家になってから弁護士会に調停の申し立てをされているんです。私の行動が三権分立に違反しているとか、私の論文に掲載した写真が名誉毀損という非常にいいがかり的なものだが、それは私の政治活動を妨害したい勢力から、そういう申し立てをされて、いまだに苦しんでいる。私は弁護士だが、そのような言いがかりであっても、呼びだしをされたりといったことで苦しんでいる。
また、例えば小泉総理の靖国参拝。これは民族的人格権の侵害であると言って、全国で裁判が起こされている。そうすると、私のように、総理は靖国神社に参拝すべきであるという意見を講演で述べますと、差別を助長するものであるといって、積極的な救済の対象になって、弁護士会で苦しんでいるのと同じような状況が起きまして、政治活動、表現の自由に対する重大な危険だ。表現の自由は憲法で、他より優先的な地位が与えられている。民主主義の根幹に関わる問題だ。このような問題が、人権救済の対象になって私が申し立てられたとすれば、この法案自体が憲法違反だということで、裁判所に訴えなければならず、憲法裁判が非常に増えて、司法界も混乱すると思う。どうかこの法案がいるかどうかという点から議論していただきたい。
矢野隆司:学校を出てから新聞記者をしていた。今は使ってもいい言葉だが、当時、私のときに「皮切り」という言葉を使うとだめだと言われた。ものごとの手始めにという意味で、この皮切りにという言葉があるのだが、要するにこれが、動物の毛皮を剥ぐ行為に由来しているということから、皮切りという言葉を使うなと言われた。当時、私は記事に書いたときに、新聞労連の支部とやり合ったことがある。その後、関西有数の高級住宅地と言われる芦屋という町があるが、
法務省:逆差別の問題も、人権侵害の問題としては私どもも重要に考えている。いわゆるエセ同和問題がある。これについては法務省が中心となって行政府等の間で一体となって対策を講じるということで、警察等とも連携し、対応してきた。
同和問題に対しては、具体的に差別があれば、人権問題として、私どもはきちっと対応する。差別だという言いがかりが同和団体から来たとする。それについては、こちらとしては、そういう存在しない事実で言いがかりを言うのは、誹謗中傷に当たるわけなので、これが例えば同和団体であっても、それに対しては違法だと言わなければならない、それ自体が人権侵害だと言わなければならない。私どもは平成の初めごろから、同和団体の確認・糾弾集会は不適当なものである、それは民間同士で、要するに私人同士であっても、不適道なものであるから、出席する必要もないし、そういうことを称揚すべきではないと、一貫して述べている。
今度の新しい人権委員会というのは、人権侵害があるのか、ないのか、ない場合も明確に言うということが重要でありますし、お前の言うのは誹謗中傷だという申し立てがあれば、もちろんその点についても判断する。したがって、準司法機関的な機関として、明確に人権侵害があるか、ないものもないと言っていくというのが重要なところだと考えている。
西川京子:要は本当に小さな、些細なことでも訴えられて、そうされるとかなりの時間的、精神的苦痛を受けて、何度もそういうところに足を運ばなければいけない事態になる。人権侵害だ、と言われることはいわばセクハラ問題と同じで、やった側とやられた側というのは本当に微妙な話になる。これを誰が一体判断するのか。だからこそこれは、こういう心の分野まで法律が強制権を持って入る危機感がある。今の話を聞いていると、まさにその中に堂々と入ってきて、簡単にこの問題があちこちででてくる。
個人情報保護法を考えたらいい。あの法律ができたおかげで、PTAの連絡網もできない。あらゆるところで、個人情報だという言葉だけが走って人間関係、地域社会を壊している。今の説明がこの問題の、この法律の本質を突いていると思う。誰が一体人権侵害と判断するのか。神のみぞ知る、じゃないですか。そこはだからこそ、お互いの人間的付き合いの中で解決していくんでしょという道徳の世界の話じゃないですか。
平沢勝栄:数年前に私が法務部会長をしていたときに議論したが、あのときやっていたような同じ議論がまたされている。あのときは、とてもじゃないけど、これは一本にまとまらないというか、反対が強くて、とてもじゃないけども出すことはできないという話で一旦お蔵入りした話だ。ところがなぜこの時点で、確かに一部修正してきていますけども、これがもう一回でていたのか。その間に、現場でこれを必要とするような情勢が出てきたのか。それがよく分からない。数年前に一旦結論を出たものが、なぜまたここで、ここでみんな忙しい、ギョーザ問題とかいっぱいあるときに、こういう問題を一生懸命やっているのかがよく分からないので、なぜこういうことをやろうとしているのか。
杉浦正健:この問題はお蔵入りになって廃案になったが、それを起こしたのは小泉総理。郵政選挙の前の施政方針演説で人権擁護法案の提出を検討するということ触れられましてね。私は官房副長官でした。それを受けてすぐ郵政解散で、私は法務大臣を拝命して、白紙から検討しろということで、始まったわけです。だからこの人権法案は脇に置いておくと。私は部落の問題はまったく分かりません。うちの地元にはまったく部落は存在しないし、解放同盟はありませんから。
だけども、私の問題意識では、例えばマスメディアのメディアスクラムというがある。そういう問題について、何らかの対応が、もちろん同和問題もあるかもしれないけど、やっぱり必要なんじゃないかということで動き始めた。で、いいところまで行った。鳩山大臣が検討してほしいというので、このチームが立ち上がったわけだが、私は白紙、まったく白地に、どういう法律をつくるべきなのか、同和の問題とかもあるので、そういう問題を皆さんが納得出来る形で作った方がいいと思う。
衛藤晟一:小泉総理はそう言われたかもしれないが、安倍総理ははっきりとやらないと言った。ですから、その話はチャラです。今の局長の話は、一般的な救済についていうのなら分かる。ところが、そこだけで、誤魔化してはいけない。
3条委員会というものは極めて特別なときに限られている。必ず公取でも何でもものすごく限定的。公権力の行使について極めて慎重なんです。ところがこの法案は「おそれ」まで全部ひっくるめて、そして調査権がある。調査権はひどくないというが、調査に応じなかったら罰金30万円。それを被ったら、大変なことで、ちゃんとした手続きが終わらないうちにレッテルを貼られちゃうわけですから、大変なことになる。例えば逆差別で反論できる余地はあるというが、先に訴えた方が勝ちだ。こぞってそこに行って30万円とったら、勝負あっただ。だから、令状の執行がいると、今の法律は人権を守っている。それをごちゃごちゃにやるととんでもないことになる。そうでなければ表現の自由は守れない。
萩生田光一:頭からこの法律は要らないとは言ってない。現行制度で救済できない深刻な人権侵害はどんなものがあって、その人たちを救済するために法律が必要か否かを、議論しなければならないのだから、どういうことが大切なのかと聞いたら、今日、資料が出てきた。それぞれ確かに人権侵害がある事例なんだろうだが、現行制度でなぜ救済できないのか、という点が突然飛んでしまってよく分からない。例えば福祉施設の入居者に対して、虐待が起こるとすれば、これは措置をした地方自治体が責任を持って調査するだろうし、刑事罰に値するなら告発もされるだろう。また、障害を理由に入学を拒否する学校があるとすれば、これは教育委員会や文部科学省が指導せざるを得ない内容で、泣き寝入りしている実態があるのか、教えてもらいたい。
早川忠孝:人権侵害ということで看過できないのは、昨年の富山県のえん罪事件。刑務所から出てきてから無罪であることが判明した。これに対して人権擁護局はどういうことをしたのか。どういう機能がないために対処できないのか。鹿児島県の志布志事件についてもその通りで、それをえん罪だと言わないと法務大臣が言ったために、それが当事者にとっては大変な人権侵害だという認識が広がっていたことを考えれば、これに対して人権擁護局はどういう対処をしたのか。もともと白紙だと言いながら、すでに廃案した人権擁護法案を前提に議論するから分からない。
石井準一:千葉県では、障害もあるものもないものもともに暮らしやすい千葉県条例を立ち上げるときに、喧々囂々の議論があった。そのとき一番問題になったのが、学校による障害者等に対する入学拒否、これが具体例であがっているが、教育現場では大変な問題になった。受け入れるにはまず予算措置が必要で、事故が起こった場合、どのような責任の取り方があるのか。障害者を受け入れた教室と受け入れてない教室で学力差が出た場合、誰が穴埋めをするのか。ペナルティでそういう事業主とか事業所を公表すると言われたときに、先ほどの衛藤先生の話じゃないが、企業が組織が成り立たなくなる、そうした問題が出てくる。入学を拒否された方の声を上げただけでなく、現場の声をしっかり確認をとってもらいたい。その中で法律、条例は基本的に積み上げていくものであると思うので、現場の声をしっかりと受け止めるデータを示してもらいたい。
はじめから人権擁護法案ありきという議論ではなく、そもそも論から議論していただきたい。国民にとって悪法のような形で運用される恐れがあるから非常にみんな危機感を持っている。ぜひ、そうならない形でどう対処できるか十分検討して、少なくとも立法ありきという議論ではないという、そういうスタンスを持ってもらいたい。
太田誠一:
法務省:差別的取扱という問題がある。先ほど学校による入学拒否という話がありましたが、具体的事案においては学校側の事情を考慮しないということはありません。ただ、拒否されたからそれで違法になるということはございませんので、学校側の意見も十分に聞き、そして障害者の方の意見、話も経過も聞いた上で、十分に考慮したうえで、どういう解決があるのかというのを、現在の私どもの機関でいえばソフトな手法でそれを考えていく。しかし、最終的にあっせんなどがうまくいかなかったときには、結論は出さざるを得ないだろうと、そういった形でやっておるところです。
差別的取扱につきましては、個別法に基づく行政的救済は基本的にはありません。裁判で決着をつけるか、人権擁護機関がやるか、ということになる。差別的取扱というのは基本的に刑事罰にはなりません。例えば、入学拒否された場合、入学拒否された人が裁判で訴えることになる。しかし、入学は4月に入学ができないという状態で、結局、他の学校に行くかどうかを考えなきゃならないということになりますから、裁判では仮処分をかける、かけないというレベルになるわけですが、人権擁護機関では迅速にその点について一応対応することができる。しかし、現行の法務省の人権擁護機関はまったくの任意調査、そして任意の形でやっている。
また、高齢者虐待の問題については、現実に昨年千葉で起こった事例などを見ても、結局さっさとその施設をたたんで、就業者をどこかにつれていって分からなくなったという事例がある。千葉県などは、それをどういうふうに法律を適用して対応するか苦慮している。私どもの方では、具体的な加害をした個人、職員、あるいはそれを監督する理事長と折衝して、被害救済を図る方向で、いろいろ指導したということですが、そこについても、一定の判断自体についても、公正さが担保された機関が必要であろうということです。そういった機関は現在の個別法ではございませんし、これらの被害者は裁判所にそれを民事的に訴えるのは困難であろう。
ですから、人権擁護局長の答弁だったら分かるけど、政治家の答弁だったら、こんなこと言ったら、「馬鹿野郎」っていう世界ですよ。果たしてすべてをこういう人権擁護という法律で全部押さえてしまっていいのかという問題について、これは立法では政治家が判断しないといけないことだ。
土屋正忠:私は現場にいた立場から申しあげるが、例えば今の局長がお話しになった事例の中で、学校。そもそもこの種の問題は古くて新しい問題。少なくとも今の教育基本法などの考え方は等しく能力に応じて教育を受けるということになっている。そうすると、例えば聴覚障害者と視覚障害者と知的障害者と、障害が違う人が一律的にいわゆる普通学級に入っていいかという教育上の大議論がある。
昭和20年代からいわゆる障害者教育はやってきた、それは肢体不自由の対象者。後から、知的障害者だって混合教育がいいかという大議論がある。だから、こういう例を挙げるのは、ここだからいいようなものの、一般社会に出たら、めちゃくちゃにやれてしまう。こんな程度かよと。これは
それから高齢者の話もいろんな議論がある。今、たたんでどっかに行ってしまう、千葉の例を挙げたが、たたんでどこかに行ってしまうような人をどうやって人権委員会はするんだろう。社会福祉事業でもやるんですか。たたんでどこかに行っちゃう人の代わりに?全然こういう例を挙げたら、社会福祉とか社会保障やっている人から総スカン食らいますよ。社会福祉やっている人やそれを監督する厚生労働省は、例えば介護保険の機関だって、コムスンどうするんだっていう精密な議論をしてるんですから。現に介護保険法の改正一部出しているんですから。だめですよ、こんな荒っぽい議論しちゃあ。
仮に第3条機関ということになると、人権擁護を徹底させるための執行をしていくわけでしょ。決めて執行する機関ですよね。すると膨大な支局や部局が必要になりますよ。例えば
戸井田徹:去年、地元のある企業の経営者が相談にきた。セクハラで訴えられたっていうんですよ。50年間お菓子でやってきて、従業員は半数以上知的障害者で、誰も地域の人たちでその人がそういうおかしなことをする人だと言う人はないし、本当に真面目で手本みたいな人だった。ところがその人の会社に新しく女性の従業員が入ってきた、経理をやっていた。それでごちゃごちゃごちゃごちゃ会社のルールを守らないでやってきた。会社の中で問題があるから辞めさせて欲しいだ何だって、そういう話になって、最後にその社長が本人と部屋で一対一で話をして、「分かってくれたんだな」ということで最後に握手をして、うまくやってくれ、みんなと仲良くなってくれと言って握手して出たとたんに、その後その足でもって訴えられた。話を聞いたら、やっぱり示談で済ませたということなんですね。
本当に、まじめな人ほどこういう法律ができたらやられるんですよ。セクハラでもって、一つの法律をつくるということはそれでもってセクハラがなくなるということじゃなく、それを利用する人間が出てくること。利用する人間の手にかかったら真面目な人間ほどやられるんですよ。それと同じです。この人権擁護法というのは。人権侵害とは何なのか。人権を侵害されたという人間の気持ちだ。握手をしてセクハラをされたということ。そんなことが世の中で蔓延するのは、まともな国ではあり得ない。この法律が通っていくことで、どんどん社会がおかしくなって、日本が完璧に解体される、一歩。一歩じゃない、二、三歩になっていると思う。これはやめてもらいたい。
古屋圭司:人権侵害に対する擁護は絶対なされないといけないというのはみんな論を待たない。現実にこの法案が、そうではない、新たに危険な方向に行ってしまう可能性が高い。前も指摘したように、人権擁護推進審議会の答申から乖離しているんですよ。答申は非常に抑制的に書いている。基本的に簡易な方法にしなさい、現行法をいろいろ活用しなさい。どうしてもダメな場合は積極的救済。でも、それでも定義を明確化するとか、強制権は付けないとか、そういうふうにしなさいというのが答申の全体の流れ。にもかかわらず、この法案が出てきてしまっていることはそもそもおかしい。どんな人権侵害が行われて、救済されないのは何なのか。現行制度ではだめなのか。そういうことをしっかり議論していきましょうよ。やっぱり、この法案は廃案になったんだし、この法案を議論することはここでストップするべきだと思う。
太田:ありがとうございました。さまざまなご指摘は共感できる部分も多々あります。いずれにせよ、最初の法案でお諮りをするという気はありません、それでやろうという気はありません。ぜひ、こういうものならば必要だというふうな、人権救済の法律をここでつくり、そして法務省の方もそれを受けてやっていただくということでお願いしたいと思う。また有識者の話を改めてお聞きをしたいので、ご協力をお願いいたします。(了)
…さまざまな疑問点や問題点を指摘した反対派議員たちに、果たして今後、推進派議員や法務省は明快な反論を繰り出せるのでしょうか。無理なようにも思えますが、今後の行方をさらに追跡していきます。平沢氏ではありませんが、「(推進派は)なんでこういう問題を一生懸命やっているのか分からない」というのが、普通の感覚なのでしょうね。


by 一閑
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