ちょっと古い話ですが、4月下旬に自民党本部で与党教育基本法改正検討会のメンバーと、自民党を支持してきた宗教団体代表との懇談会を「壁耳」取材していたときのことです。検討会座長の大島理森元文相が「神道」のことを盛んに「しんどう、しんどう」と濁って発音しているのが耳につきました。
「これって濁らずに『しんとう』って読むんじゃなかったっけ。ふつうはみんな、『しんとう』と発音しているよなあ」
そんな細かいことが妙に引っかかったのは、随分以前にやはり『しんどう』と濁って発音する人にインタビューしたことがあったからです。それは平成3年、相手は、首相らの靖国神社への公式参拝や玉串料の県費支出を違憲と判断した仙台高裁の「岩手靖国訴訟」で、原告側弁護団長を務めた勅使河原安夫弁護士でした。
この判決は、被告側を形式的に勝訴させて上告を封じておきながら、原告側の望む憲法判断を示すという典型的な「ねじれ判決」でした。勅使河原氏は判決後、私のインタビューに「望んでいた憲法判断が得られた」と笑みを浮かべながら、「しんどう、しんどう」と繰り返していました。
この人の宗教観に興味を覚えた私が「米大統領の就任式に聖書はつきものだが、政教分離原則に反するか」と聞くと、「アメリカのことは考えたこともないが、特定のキリスト教を支持したとは言えないのでは」と答え、自身も学生時代に洗礼を受けていると語りました。
また、「靖国神社が宗教法人だからいけないのか」と聞くと、「そうではない」といいつつ、「どうして神社で寺ではないのか、ということだ。靖国神社には自衛隊員も祭られており、そこだけに行くというのは、何か意図があると思わざるを得ない」というのです。
首相の参拝先が寺や教会だったらいいのか、とそんな疑問を持ちつつも、インタビュー時間は終わりました。それ以来、私の周囲で「しんどう」と発音する人はほとんどいなかったので、妙に大島座長の言葉が印象に残ったようです。
ちなみに、このとき違憲判断を示した糟谷判事は判決4日後に退官して弁護士になりましたが、退任記者会見で「本当は朝日新聞の記者になりたかった」との名セリフをはきました。なるほどなるほど、と深く納得したのは言うまでもありません。
さらに余談ですが、高裁判決が出た次の日の朝刊で、早版地域(印刷工場が遠い地方など)に届いた本紙のエトキ(写真説明)は、私が書いた「高裁判断に笑いがとまらない勅使河原弁護士」との文が採用され、新聞を見た弁護士事務所から「それはないだろう」と軽い抗議がきました。でも、本社の方で少しまずいと思ったのでしょう、後版(工場が近い地域に届く分)からはふつうのまじめなエトキに替わっていました。
さて、そこで今朝早く目が覚めたのを幸いに、辞書で調べてみることにしました。まず、角川の「新国語辞典」には、「しんとう」としか載っていません。次に調べた岩波の「広辞苑」の場合は、同じ字で「しんとう」と「しんどう」では別の意味が書いてありました。後者のにごる方の意味は①神、神祇②中国で、墓場への道、墓道、墓門とありました。なるほど、中国が神道を嫌う理由の一つは意外とこんなところにあるのかも。
ところが、続く三省堂の「新明解国語辞典」にはあっさりと「神道」の読みに「しんどう」も載っていました。また、小学館の「大辞泉」をみても「『しんどう』とも」とどっちでもいいように書いてあります。
うーん、2対2か。思い余って神社本庁の関係者に電話して聞いてみたところ「われわれとしては濁らずに『しんとう』と読むのが基本ですが、『しんどう』と読む人もいるし、間違いではないでしょう」とのことでした。でもやっぱり、「しんどう」と聞くと身構えてしまうな‥。


by saxophone
短信・金環日食で始まる一日